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「命のビザ」のため、母国日本との“闘い”-杉原千畝の実像に迫る(3)

9/17(火) 11:01配信

nippon.com

斉藤 勝久

独ソ両国の密約によって、スターリンのソ連に呑み込まれつつあったバルト3国の小国リトアニア。その暫定首都カウナスは、二つの全体主義から逃れてきたユダヤ難民であふれかえっていた。各国の諜報機関が入り乱れ、情報戦が繰り広げられるカウナスに赴任したのが杉原千畝だった。彼は「命のビザ」をユダヤ難民に発給し、彼らの人脈からも貴重な情報を手に入れていた。

世界的諜報戦の最前線カウナス

スターリン率いるソ連から入国を拒まれた杉原は、隣国フィンランドの首都ヘルシンキでの約2年間の勤務を経て、リトアニアのカウナスに赴いた。この地に新たに日本の領事館を開設し、その領事代理となった。1939年(昭和14年)8月のことだった。

リトアニアは、独ソ両国の鼓動が直に伝わってくるような地の利を有していた。それゆえ、暫定首都となったカウナスには、英米をはじめ欧州各国から情報士官や外交官が密命を帯びて、激しい諜報戦を展開していた。日本政府もまた独ソの最新の動向を探らせるため、インテリジェンス・オフィサー(情報収集と分析のプロフェッショナル)の切り札である杉原を送り込んだのだった。

杉原がカウナスに派遣される前年の38年、ヒトラー率いるナチス・ドイツはオーストリアを併合し、続いてミュンヘン会議でチェコスロバキアの国境に近いズデーテン地方の割譲を英仏に認めさせた。翌39年の初夏、モンゴルと満州(現中国東北部)の国境地で日本の関東軍とソ連・モンゴル両軍が激突する「ノモンハン事件」が勃発し、帝国陸軍は関東軍の精鋭を投入しながら、痛打を浴びてしまう。

そして、陸軍の統帥部が盟友と頼んでいたナチス・ドイツは、あろうことか、主敵であるソ連と「独ソ不可侵条約」を結んでしまう。日本の平沼騏一郎首相は「欧州情勢は複雑怪奇なり」と声明を残し、内閣総辞職した。当時の日本は情報戦で後れを取り、外交の羅針盤を粉々に砕かれたのだった。そうした情勢下で日本の指導部は、急ぎ杉原をリトアニアに赴かせた。

杉原がカウナスに着任した4日後、ナチス・ドイツ軍がポーランドに侵攻し、第二次世界大戦の火蓋が切って落とされた。2週間後にはスターリンの赤軍が密約に従ってポーランドに侵攻し、この国は真っ二つに切り裂かれてしまう。だが、ポーランド政府は降伏せずに、パリ、次いでロンドンに亡命政府を樹立して、頑強に独ソ両国に抗い続けた。

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最終更新:9/17(火) 11:01
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