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“嫌われる勇気がある男“宮本慎也ヘッドは、なぜヤクルトに必要か

9/17(火) 11:00配信

文春オンライン

 先日、ある雑誌の取材で広岡達朗氏に初めて会った。1978(昭和53)年、ヤクルトスワローズをセ・リーグ優勝、そして日本一に導いた名将である。87歳の現在も、専門誌など複数の媒体に連載を持ち、球界にさまざまな提言を行っている広岡さん。歯に衣着せぬ発言は辛辣であり、非情であり、ときに冷酷でもある。「管理野球」で名を馳せ、弱小チームだったヤクルトを、そして後には創設間もない西武ライオンズを優勝に導いた名将との対面。僕にとっては緊張感あふれるロングインタビューとなった。

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球団史上初の「生え抜きの厳しい優勝監督」候補として……

 さて、これまでヤクルトは7度のリーグ優勝を経験し、そのうち日本一には5回輝いており、チーム史上4人の「優勝監督」がいる。最初が78年の広岡達朗。次が1992(平成4)、93、95、97年の野村克也。さらに、21世紀最初の年である2001年が若松勉。そして、記憶に新しい、直近の歓喜の瞬間が15年の真中満だ。僕はこれまで、ノムさん、若松さん、真中さんには何度もお話を聞いてきたが、今回初めて広岡さんへのインタビューが実現したことで、「ヤクルト優勝監督の系譜」が完成した。ぜひ、いつか彼らの言葉を丁寧に掬い上げながらこの物語を書きたいと思う。

 この4人を大雑把に分類してみると、「外部招聘の厳しい監督」と「生え抜きの優しい監督」に大別されることに気がつくはずだ。広岡さん、野村さんはともに、選手としてはスワローズに在籍していなかったものの、一般的に「ファミリー体質」と呼ばれるヤクルトに「厳しさ」を注入するために招聘されて結果を残した。一方、「背番号《1》は優しさでできている」としか言いようのない若松さん。そして、選手の自主性を尊重してのびのびとプレーさせて優勝した真中さんは、いずれもヤクルトひと筋で現役を終え、その後も二軍監督を経て、一軍監督に就任。まさにファミリー。チームカラーを体現したような野球人生を送った。

「広岡と野村」、そして「若松と真中」――。両極端なタイプの指揮官たちがヤクルトファンに至福のときをプレゼントしてくれたのである。しかし、今年50周年を迎えた「ヤクルト史」を振り返ってみたときに、前身の国鉄、サンケイ時代を含めて、このチームには「生え抜きの厳しい優勝監督」が、いまだ存在しないことに、すぐに気がつくだろう。2年前の文春野球でも書いたけれど、球団史上初の「生え抜きの厳しい優勝監督」の第一候補こそ、宮本慎也ヘッドコーチをおいて他にはいない。たった2年前、17年の秋、僕はそう思っていた――。

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最終更新:9/17(火) 12:15
文春オンライン

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