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落語にもなった王子稲荷神社の狐

9/17(火) 8:00配信

NHKテキストビュー

春は桜、夏は蛍、秋は虫聞きや紅葉、冬は雪見。江戸時代、風光明美な王子には、四季を通じて、人の絶えることはなかったといいます。稲荷神社の神使、狐はそんな王子に欠かせない存在で、浮世絵にも描かれ、落語の主役にもなりました。國學院大學文学部准教授の飯倉義之(いいくら・よしゆき)さんが、王子稲荷神社の狐を題材とした落語「王子の狐」、そして王子稲荷神社の歴史について教えてくれました。



* * *



王子稲荷神社の狐は、昔から人を化かすことで有名でした。



ある男性が、神社に参詣した帰り道、1匹の狐が若い娘に化けるところを見かけました。「これから誰かを化かそうという腹らしい」、と周りを見ると、自分1人しかいません。「そうだ、化かされるくらいなら、化かされたふりをしてやろう」と、「お玉ちゃん、俺だよ」と知り合いのふりをして、狐に声をかけました。すると、「あら、お久しぶり」と狐も話を合わせてきます。



近くの料理屋に上がり込んだ2人は、あぶら揚げではなく天ぷらなどを注文。差しつ差されつやっていると、狐のお玉ちゃんはすっかり酔いつぶれ、寝込んでしまいました。そこで男性は、土産に名物のたまご焼きを包ませ、「勘定は女が払う」とお玉ちゃんを置いて帰ってしまったのです。店の人に起こされたお玉ちゃんは、男性が帰ってしまったと聞いてびっくり。耳がピンと立ち、尻尾をニュッと出してしまいます。それを見た店の人はもっと驚き、棒で狐を追いかけ回し、狐は慌ててその場を逃げ出しました。



狐を化かした男性が友人に吹聴すると、「お稲荷さんのお使いにひどいことをしたもんだ。狐は執念深いぞ」と脅かされる始末。翌日、狐と会った場所に手土産を持って訪ねると、子狐が遊んでいます。事情を話し、「謝っといてくれ」と手土産を渡しました。穴の中では、いじめられた母狐のお玉ちゃんがうんうんうなっています。



「今、人間がきて、謝りながらこれを置いていった」と小狐。警戒しながら開けてみると、中身はおいしそうなぼた餠。



「食べてもいいかい?」と盛んに欲しがる子狐に対し、 「いけないよ、馬の糞(ふん)かもしれない」と母狐はいうのでした。


■関東地方の狐が集合するという伝説を持つ、 江戸の守護神


その昔、毎年大みそかになると、狐が行列をつくって王子稲荷神社にお参りをしたと伝えられています。その様子は浮世絵にも描かれました。高台にある王子稲荷神社は眺めのよい場所ですが、昔はこんもりと茂った杉の大木に囲まれて、昼間でも薄暗かったとか。山中には神使としての狐がたくさん棲んでいたそうです。その痕跡は今も残り、狐たちが出入りしたという穴が「お穴さま」として祀られています。



こちらの神社の創建は古く、平安時代以降といわれています。その頃は「岸稲荷」(現在の住所表記は、北区岸町)と呼ばれていました。社伝によれば、康平(こうへい)年間(1058~65 )に奥州追討の際に、陸奥守(むつのかみ)・源頼義(みなもとのよりよし)が岸稲荷を深く信仰し、関東稲荷総司として崇めていたとあります。



元亨2年(1322)に近隣の地に、紀州の熊野神社を勧請(かんじょう)して王子稲荷が祀られました。この頃から地名も王子と改まり、岸稲荷から王子稲荷神社と改称されました。江戸時代に徳川将軍家の祈願所と定められると、歴代将軍の寄進も多く、さらに庶民の信仰も厚く、まさに稲荷信仰の隆盛のときを迎えました。



王子稲荷神社は遠方からの参拝者が多く、飛鳥山(あすかやま)の花見を兼ねての行楽客も訪れ、門前には茶店や料理屋が軒を連ね、大変なにぎわいを見せていました。時代は変わりましたが、地域の人々によって、稲荷神社の神使である狐を敬う心は、大切に受け継がれています。



■『NHK趣味どきっ! 京都・江戸 魔界めぐり』より

NHK出版

最終更新:9/17(火) 8:01
NHKテキストビュー

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