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二軍生活から這い上がり劇的弾! 5年ぶり優勝へ突き進む原巨人に貢献したゲレーロ/令和助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

9/18(水) 11:01配信

週刊ベースボールONLINE

激動の野球人生

「映画のストーリーには二種類しかない。穴に落ちたものがその穴の中で死んでしまう話か、その穴から這い出す話か、その二つだ」

 作家・村上龍のエッセイでアメリカ人脚本家の言葉が紹介されていたが、一軍昇格と二軍降格を繰り返した巨人のアレックス・ゲレーロは、まさに映画のようなドラマチックな2019年シーズンを過ごした。

 振り返れば、激動の野球人生だ。キューバから亡命し、14年に4年総額2800万ドル(約32億円)でドジャースへ入団。15年にメジャーで11本塁打を放ち、さあこれからという16年3月に練習試合で左ヒザを負傷してしまう。その後、チームは登録枠を空けるためマイナーでのプレーを指示してきたが、あえて自由契約の道を選び、30歳になった2017年に日本の中日を新天地に選んだ。

「ケガが治って、試合に出られると思っていたが、球団の思惑は違った。だからやめることにした。野球への飢え、試合に出たい気持ちはある」
 
 中日入団直後の『週刊ベースボール』にはそんな本人の言葉が残っている。メジャー時代も気分屋の問題児として知られ、当時の森繁和監督は「何かあったら契約を切るから覚悟しておけ」と釘を刺していたというが、こと野球に対しては真摯でハングリーな男だった。来日1年目のゲレーロは春季キャンプの対外試合でいきなり2本塁打を放ち、「ゲレーロ、ミテーロ!」なんつって今となっては誰も覚えてない一発ギャグを披露。開幕後は春先こそ打率2割台前半と苦しむが、5月は月間10本塁打、6月は同9本塁打と量産体制に。四番に定着すると、いきなり35本塁打でホームラン王に輝く。

巨人1年目は首脳陣と意思疎通の欠如

 翌18年は2年8億円の大型契約で巨人へ移籍。開幕戦を「四番・左翼」として迎えるも、当時の首脳陣との意思疎通もうまくいかず82試合の出場に終わり、2カ月以上の二軍暮らしも経験した。そんなくすぶるゲレ砲について語った『ベースボールマガジン』愛しの助っ人特集号掲載、森繁和・現中日シニアディレクターのインタビューが興味深い。

「ゲレーロは、少なくともウチ(中日)にいたときはずっとコミュニケーションを取っていた。逆の立場で、もし私がドミニカに一人で行って、周囲がなにも話しかけてくれず面倒を見てくれなかったらすごく不安に陥る。それと同じことだ。あんな遠い国から日本に来て、言葉も分からないヤツが話しかけてさえもらえない。そうではなくて、冗談でもいいから言ってくれて、分からない言葉でも話しかけてくれることが彼らはうれしいのだ。それすらしないで、こうしろああしろと指示されても本人も面白いわけがない。外国人にそういう接し方はしてはいけないと、私は常に考えている」

 チーム事情で引退即監督に就任した若い高橋由伸元監督を中心としたスタッフにそこまでのケアを求めるのは酷かもしれないが、ルイス・クルーズやゲレーロとラテン系助っ人選手の扱いにはかなり苦労していたイメージがある。そんな状況でやってきたのが3度目の巨人監督復帰となった原辰徳だ。百戦錬磨の原監督は、就任早々まずゲレ砲の背番号を「私の中で外国人の強打者は44番」と“5”から“44”へと変更させ、国際部を通じて本人へメールを送り、春季キャンプではマンツーマンの打撃指導までした。プロ野球でも会社でもなんの仕事でも、上司が自分に興味を持ってくれるとモチベーションが上がるものだ。

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最終更新:9/26(木) 10:33
週刊ベースボールONLINE

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