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秋山登&土井淳「大洋を初の日本一に導いた親友バッテリーの集大成」/プロ野球20世紀の男たち

9/18(水) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。

大洋の1960年

 学生時代からバッテリーを組み、そのままプロでもバッテリーを組む光景は、かつては散見された。成功例が少ないこともあってか、近年は見かけなくなったが、そんな球史に貴重な“親友バッテリー”で、日本一のバッテリーに成長したのが、大洋の秋山登と土井淳だ。

 1998年に横浜となったチームが優勝、日本一に輝いたときも奇跡的ではあったが、それでも前年には2位に急浮上するなど、少なからず予感はあった。だが、この2人が日本一の立役者となった60年は、前年まで5年連続で最下位という、どん底。就任したばかりの三原脩監督による“魔術”で、投手も野手も役割分担が明確になり、“超二流”と言われた選手が個性を発揮したが、

「秋山だけは分業じゃなく、全部だった(笑)」

 と、土井は振り返る。付け加えれば、

「(プロ野球で)『初めてだからこそ、やってくれ』って言われた」(土井)

 と、土井はコーチも兼任していたから、その負荷は想像に難くない。土井が26歳、早生まれの秋山は25歳のシーズンだった。

「彼は感性を重視する天才。僕は悪知恵が働いたから、いいコンビになった。ノーサインでも微妙な腕の違いで球種は分かった。ただ、彼が僕のサインに首を振ったことはなかった」(土井)

 ともに岡山県の出身。土井は岡山第一商高、秋山は岡山第二商高にいたが、この両校が合併したことが、運命の出会いとなった。その岡山東高2年でバッテリーを組み、ともに進んだ明大では53年の秋からの連覇に貢献。そんなバッテリーをプロが放っておくはずはない。巨人も獲得に熱心だったが、最終的には56年に大洋へ。ともに1年目から活躍して、秋山はリーグ最多の379イニング2/3、26完投と投げまくって新人王に輝いた。ただ、25勝を挙げると同時に、25敗を喫している。

 5年連続最下位の2年目。とにかく弱いチームで、悔しがる様子のない先輩たちに囲まれ、土井は失望の連続だったという。2ケタ勝利を続けた秋山の黒星は4年連続リーグ最多。そんな59年オフ、西鉄で黄金時代を築いた三原監督が就任する。紆余曲折があって1年ずれこんでの就任だったが、土井は三原が3連覇を達成した58年、日本シリーズの前に三原と会っていた。

「開口一番、『大洋から監督を頼まれた。それで中の情報が欲しいんだ』と。冗談かと思いましたよ。こんな弱いチームに三原さんが来るわけないと思って。この話は三原さんが亡くなってからしかしていない。世紀の大密談でした」

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最終更新:9/18(水) 11:05
週刊ベースボールONLINE

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