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アルゼンチンに来た若者が感じた優秀なサッカー監督を生む理由

9/18(水) 19:02配信

footballista

2018年早々、一人の日本人の若者がクラウドファンディングで資金を募り、アルゼンチンへと渡った。“科学”と“芸術”がせめぎ合うサッカー大国で監督論を学び、日本サッカーに挑戦状を叩きつける――河内一馬、異国でのドキュメンタリー。

文 河内一馬

 気づけばあれから、1年の月日が経っていた。「サッカー監督という仕事について」連載を書き始めてから、月に一度パソコンの前に座っているこの時間は、文字通りサッカー監督というものだけについて思考を巡らせた。そのこと自体が、私にとっては何よりも有益な時間であったことは間違いなく、論考と言ったら大げさではあるが、頭の中にある整理されているのかいないのかわからないものを、このような立派な場所で書かせていただいたことに、まずは大きな感謝を申し上げたい。たいていの場合、話し手や筆者が冒頭で感謝の言葉を伝えた時、それは何かが終わる時である。ちょうど1年、延べ12回目をもって、この連載にも終わりが来た。

 1年間という月日は、短いようで長く、長いようで短い。連載1回目で書いたように、私は当時、言葉も話せない、住む街のことを何一つ知らない、そのような状態でこの地に降り立った。そんな日本人を、この国の人々は温かく迎えてくれたと、確かそんなように書いたように思う。到着から1年半が過ぎた今、言葉が話せるようになり、地図なしで街を歩くようになった。そして、この国の人々は、暖かいどころかアッツアツであることももう、十分にわかっている。

 私はこの国に、サッカーを学びに来た。サッカーを勉強したいという気持ちよりも、文化や歴史や、人々の暮らしぶりを知りたいと、そう思っていた。それをこの目で見ることは、人々の先頭に立ち、サッカーというゲームをプレーする「監督」というリーダーに、必要不可欠な気がしていたからだ。どうして、この国から、こんなにもたくさんの優秀な監督が輩出されるのだろう? その疑問を解消するにはもう少し時間がかかりそうだけれど、これまで書いた11回の連載をあらためて読んでみると、その「核」の周りに散らばっているキーワードの数々は、ある程度探ることができたのかもしれないなと、そう思っている。

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最終更新:9/18(水) 19:02
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