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好対照なサイドバック像を築いた内田と長友、UCL初の日本人対決

9/18(水) 22:31配信

footballista

9月17日にグループステージがスタートした2019-20シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ(UCL)。王者リバプールの敗戦などが話題となる中、ザルツブルク対ヘンクでは南野拓実、 奥川雅也と伊東純也との競演が注目を集めた。これまでに数多の選手が挑戦しながら、なかなか実現には至らなかった日本人対決。そこで今回は遡ること9シーズン前、UCLで初となった日本人所属クラブ同士の激突を、あらためて振り返りたい。

【フルマッチ動画】内田と長友が歴史を刻んだ2010-11UCL準々決勝第2レグ_シャルケ対インテル

文 河治良幸


 2010-11のUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝。ともに日本代表の長友佑都を擁するインテルと内田篤人を擁するシャルケの対戦は、2戦合計7-3でシャルケが準決勝に進出した。

 日本では“日本人サイドバック対決”として注目されたカードだが、サッカーはチーム全体としていかに機能し、より多くのゴールを挙げたかで勝負が決まるもの。両者の歩みやスタイル、チームにおける役割の違いも踏まえつつ、あらためてこの一戦を振り返ってみたい。

対照的な道程

 もともとボランチだった長友は明治大学時代にサイドバックにコンバートされて、持ち前の走力や身体能力、気持ちの強さが開花する。大学3年次の2007年に特別指定選手としてFC東京でデビューを果たすと北京五輪を目指すU-22日本代表にも選出され、2008年にFC東京と契約。そこから瞬く間に頭角を現し、同年には当時の岡田武史監督が率いていた日本代表に初選出された。

 激しいマンツーマンと縦の推進力、驚異的なスタミナを生かしたアップダウンは長友のトレードマークとなり、本人の中でも絶対に負けない武器として伸ばしていくことになる。そして初出場となった南アフリカのW杯で主力の左サイドバックとしてベスト16進出に貢献すると、その活躍が評価される形でセリエA(当時)のチェゼーナに移籍。さらに、わずか半年後には欧州王者であるインテル移籍を実現させた。まさにサッカー界におけるシンデレラストーリーのようなステップアップ。そうして迎えたのがこのシャルケ戦だった。

 一方の内田篤人は進学校でもある清水東高校で評価を高め、複数のクラブが興味を示す中で2006年に鹿島アントラーズに加入。スピードあふれるドリブルと高い技術に惚れ込んだ当時のアウトゥオリ監督にJリーグ開幕戦で先発に抜擢された。2007年には”調子乗り世代”と呼ばれたメンバーでU-20W杯に参加しベスト16に進出すると、2008年にA代表デビュー。夏には長友と同じく北京五輪のメンバーに名を連ね、左右サイドバックのコンビを組んでいる。1986年生まれの長友と1988年生まれの内田は2歳離れているが、頭角を現した時期が近く、ともに日本を代表するサイドバックとなっていく。

 長友がガツガツ守り、ガンガン仕掛けて我が道を切り開いて行ったのに対し、内田はオズワルド・オリヴェイラ監督の下、鹿島が2007年からリーグ3連覇を果たす過程で岩政大樹や小笠原満男と言った選手からゲームコントロールを学び、独自のサイドバック像を形成していった。

 そんな内田にとって、シャルケへの移籍は大きな転機だった。Jリーグのベスト11に2年連続で輝くなど、長友とともに国内最高のサイドバックとして認められた内田だが、南アフリカW杯に向かう日本代表では大会前にコンディションを崩すなどなかなかチーム内での信頼を高められず。大会直前の守備的な戦術への転換もあり、長友とは対照的に出場がないまま大会を終えることとなった。彼のシャルケ移籍が正式に発表されたのは、パラグアイ戦で日本がPK戦の末に敗退した2日後のことだった。

 開幕当初は負傷離脱もあり出場と欠場を繰り返した内田だが、コンディション面が安定すると出番を増やし、UEFAチャンピオンズリーグでもGS第5節リヨン線でクロスからフンテラールのゴールをアシスト。決勝ラウンド進出に大きく貢献する。内田の右サイドからの展開、そして時にゴール前で見せる懸命なディフェンスがシャルケの躍進を後押しする一因となった。中でも、内田のスタイルに大きく影響を与えたのがペルー代表のジェフェルソン・ファルファンだ。

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最終更新:9/18(水) 22:31
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