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後輩・大瀬良大地が生きる希望だった……余命宣告を受けたあるカープファンの物語

9/18(水) 11:00配信

文春オンライン

 ここに一通の手紙がある。私が交流させて頂いている広島のご夫婦からの文。そこには、大瀬良大地とカープ25年ぶりの優勝を見ることなく亡くなった息子さんの写真が貼ってある。

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大瀬良大地と野球を愛して亡くなった先輩の物語

 中林士(アキラ)さん。享年27才。多くの広島人がそうであるように、士さんは物心ついた時から大のカープファン。憧れの鯉たちを見つめていたその熱い眼差しは、やがて彼を野球の道へと誘った。

 広島府中高校野球部では主将を務め、その後、九州共立大学へ進学。ともに白球を追う仲間、それを支える続ける恩師に出逢うたびに、彼の胸の中で「いつか指導者になりたい」という夢が膨らんでいった。

 2012年、士さんは北九州市で中学校の教員となり、野球部の監督になるという夢を叶えた。自分の人生に野球というスポーツを与えてくれた恩師の言葉と姿を重ねながら、士さんは球児らに寄り添い、野球の面白さ、仲間の尊さ、家族への感謝を説き、御両親はそんな息子の充実した日々に目を細めていた。

 しかし、それは教師になってわずか1年後のことだった。士さんの右脚に悪性腫瘍が見つかったのである。夢の場所であった学校は休職を余儀なくされ、広島の実家に戻り、過酷な闘病生活を送ることとなった。

 病魔は、日に日に士さんの体を蝕み、やがて肺にも転移……。それでも彼は「ある希望」を胸に大好きな野球を病床から観戦していた。士さんの「希望」。それは、2014年にカープに入団した、大学の3つ後輩にあたる大瀬良大地の存在だった。

「フォームに変な癖がない」
「ストレートの伸びがいい」

 御両親は、うれしそうにテレビ中継を見つめ、新人王に輝いた後輩の姿を自分のことのように喜んでいた背中、日に日に衰えていく身体を起こし、「マツダスタジアムに行きたい」と言い出した息子の手をひき、幼い日と同じように球場に出かけた肌の温もりを今でも思い出す。

大瀬良がサプライズで病室に……笑顔で語らった45分間

 2015年11月。士さんは、『余命2、3か月』と宣告を受ける。しかし彼は、「仕事と好きな野球がしたい」と言った。御両親は、そんな息子を喜ばせたいと、大学のつてを頼り、息子にある贈り物を催した。それは、本人に内緒で病室に「希望」である大瀬良大地が現れるサプライズ。すべては「僕に出来ることがあれば何でもしますよ」と、夫婦の想いを受け止めてくれた大瀬良のやさしさだった。

 大学時代の思い出や、教員生活の話……。共に九州共立大で教員免許を取得した二人は、昔からの友人のように笑顔で語らった。御両親は、その時間が「息子の人生で最も幸せな45分だった」と後に語ってくださった。

 それから3か月後の2016年2月――。最期まで懸命に生き抜いた士さんは大好きだったカープの25年ぶりの優勝、後輩・大瀬良の歓喜の涙を見届けることなく、「ありがとう」の言葉を残し、27年の短い生涯を終えた。

 しかし、士さんの野球愛を受け継ぐように御両親は今も野球のそばで生きている。「大地くんの活躍が今では夫婦の楽しみです」と微笑み、父・一人さんは、時間を見つけてはマツダスタジアムに足を運び、息子と同じ歳になった大瀬良の写真を撮っては自宅やカープグッズを取り扱う知人の店に飾り、オフシーズンには、母・日登美さんと二人で大瀬良の出演イベントに参加し、歳を重ねるごとに逞しくなっていく大瀬良に声を掛け、彼の仕草や表情に息子の面影を重ね合わせている。

 士さんが教壇に立っていた北九州市の小倉では、当時の野球部の顧問の先生らが、士さんの命日に『中林杯』という野球大会を行い、彼が野球を愛した証、教員だった証を残している。

「士がくれたご縁を大切にして、
 今度は、私たち夫婦が周りの人へ
 お返しをしていきたいんです」

 中林ご夫妻の手紙にあったその一文。愛する息子が生きた証のために息子が愛した野球を愛していこうという固い決意。そんな想いが伝わってくる言葉だった。

 最後に、このエピソードの掲載を快諾してくださった中林ご夫妻、交流するきっかけを生んでくれた番組『鯉のはなシアター』に感謝を伝えるとともに、真っすぐな野球人・中林士さんのご冥福をお祈り致します。

写真提供/中林ご夫妻

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桝本 壮志

最終更新:9/18(水) 15:03
文春オンライン

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