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第二次世界大戦、日本にも響いた独ソ戦の要諦

9/18(水) 6:10配信

東洋経済オンライン

ヨーロッパで2度目の大戦が勃発してから80年目。その帰趨を決したのが独ソ戦だ。拙著『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』を上梓したタイミングで、図らずも、独ソ不可侵条約、ドイツのポーランド侵攻、英仏の対独宣戦布告などの歴史的事象が、それぞれ80周年を迎え、さまざまなメディアで報じられたこともあって、考えさせられることも多々あった。

 そうして再確認したのは、第二次世界大戦において、ソ連要因が果たした役割の大きさである。ソ連という巨大な岩塊は、いくたびかの決定的な時点で、第二次世界大戦の流れを転回させたのであった。

 第二次世界大戦開戦前後と独ソ戦勃発直後の2つの時期における政治と戦略の展開を示しつつ、ソ連の動きをみていくこととしたい。

■戦争の局地化を計るヒトラー

 1939年春、ヨーロッパは戦争の予感におののいていた。アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツは、前年に同じゲルマン系の民族が主流を占めていたオーストリアを合邦していたが、さらに英仏伊と結んだミュンヘン協定を無視して、チェコスロヴァキアを解体し、自らの勢力圏に収めたのである。次なる侵略の矛先がポーランドに向けられるであろうことは、誰の目にも明らかであった。

 しかし、ヒトラーは1つの壁に直面していた。これまで、第一次世界大戦後のヨーロッパ国際秩序における原則の1つであった民族自決を逆手に取り、ドイツ系少数民族の解放を大義名分として、無血で領土拡張を進めてきたのであったが、その術策も限界に達していたのだ。イギリスとフランスは、これ以上ドイツに対する宥和政策を続けることはできないと、ポーランドに保障を与え、同国が攻撃された場合には参戦・支援すると約した。つまり、ドイツがポーランドに手を出せば、それは2国間の戦争にとどまらず、欧州大戦に発展すると宣言したに等しい。

 むろん、ヒトラーも対抗策を取らなかったわけではない。1938年以来、英仏の介入を防ぐために、ドイツは日本との接近をはかっていた。日独防共協定の軍事同盟への強化を目指す、いわゆる「防共協定強化交渉」である。もし日本を同盟国として獲得し、戦争勃発の際の参戦義務を課せられれば、たとえ英仏がヨーロッパの戦争に介入しようとしても、その極東植民地が日本の脅威にさらされることになるから、踏みとどまらざるをえない。それがヒトラーの計算だった。

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最終更新:9/18(水) 6:10
東洋経済オンライン

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