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「今ならば間違いなく逮捕できた」、捜査員が嘆息する「柴又・上智大生殺人放火事件」

9/18(水) 6:10配信

デイリー新潮

 平成8(1996)年9月9日、朝からの雨が激しく降り続いたその日、東京葛飾・柴又の民家から火の手が上がったのは午後4時40分頃だった。近隣からの119番通報で消防が出動、木造モルタルの居宅は全焼したものの午後6時には鎮火した。しかし、一部、床が抜けるほどにまで焼損した、その2階の焼け跡で消防署員が見たものは、粘着テープで縛られた女子大生の遺体だったのである。そして、その日から23年が経った……。

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「八王子スーパー強盗殺人」(平成7年7月)、「世田谷一家4人強盗殺人」(平成12年12月)、そしてこの「柴又・上智大生殺人放火事件」を合わせて、平成の「三大コールド・ケース(未解決凶悪事件)」と巷では総称する。いずれも物証に乏しく、犯人像にすら遠く及ばない。それぞれ、600万円、2千万円、800万円の懸賞金が付き情報提供を呼びかけるも、犯人逮捕に結び付く新たな情報は、残念ながら皆無といってもいいだろう。

 柴又の事件で殺害されたのは、上智大学外国語学部の4年生(21)だった。米国留学を2日後に控え、自宅で一人、荷造りをしていたところ、凶行に襲われた。粘着テープで口を塞がれ両手両足を縛られた遺体は、頸部右側に集中して数カ所の切創があった。凶器は残されていなかったが、傷痕の形状から、刃渡り8センチ程度の小型ナイフ(果物ナイフかペティナイフ)と特定されている。

遺留品は二つ

 当時、取材した記者が、メモを片手にこう語る。

「両手には刃物傷が複数残されていました。これを防御痕(ぼうぎょこん)といい、つまり被害者はナイフで襲われた際、激しく抵抗したことがわかる。火は殺害後につけられ、被害者は下半身に火傷を負っていた。私が当時、引っかかったのは、犯人はどうして被害者が横たわる2階6畳間からもっとも離れた1階の和室に火を放ったかという点。証拠を消すための放火ならば、殺害現場に火をつけるはず」

 遺留品は二つあった。一つは拘束に使用された布製ガムテープだ。静岡県内の工場において製造されたことまで判明しているが、全国に広く流通している商品で、犯人を絞り込める物証にはならなかった。大量物流時代の罪(ざい)、どこにでもある製品はもはや「犯人像」を語らない。以前は商品の流通範囲は小さく、偏っていた。たとえば「ゲソ(足跡)」の紋様から靴製品の製造工場、製造年を割り出し、販売店舗を絞り込み、地域から犯人を炙り出すという時代は終わったのである。

 さて、もう一つの遺留品は「A型の血液」だった。「それは犯人逮捕の決め手になる物証ではないのか」と色めき立つ読者がいるやもしれないが、血液や体液、あるいは毛髪など、それだけでは捜査上何の役にも立ちはしない。DNA鑑定の上、同一人物だと判定される際には決定的な証拠となりえるが、その容疑者が不在とあってはまったくの無価値と言わざるをえない。

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最終更新:9/18(水) 10:24
デイリー新潮

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