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現代プレッシング戦術の源流“グランデ・ミラン”の四精鋭

9/19(木) 12:13配信

footballista

現代戦術から読み解くレジェンドの凄み#5

過去から現在に至るまで、サッカーの歴史を作り上げてきたレジェンドたち。観る者の想像を凌駕するプレーで記憶に刻まれる名手の凄みを、日々アップデートされる現代戦術の観点からあらためて読み解く。

第5回は、「サッカーを変えた」と言っても過言ではないゾーンプレスにより一世を風靡したアリーゴ・サッキ時代と、彼の退任後も堅守を武器に数々の栄光を手にした1990年代のミランから。“グランデ・ミラン”を彩ったフランコ・バレージ、パオロ・マルティーニ、ズボニミール・ボバン、ダニエレ・マッサーロの4選手に着目する。

文 西部謙司

衝撃の4-0

 UEFAチャンピオンズリーグ(チャンピオンズカップ時代を含む)のファイナルで4点差がついた試合は4つしかない。最初は1959-60のレアル・マドリー対アイントラハト・フランクフルトでスコアは7-3だった。第1回大会から5連覇した伝説のレアルである。次が1973-74、バイエルンがアトレティコ・マドリーを再試合の末に下した決勝が4-0だった。あとの2回はミランによるもので、いずれもスコアは4-0だ。

 最初の4-0は1988-89で、相手はルーマニアのステアウア・ブカレスト。エース、ゲオルゲ・ハジを擁する強豪チームの1つだったが、ミランに完膚なきまでに叩きのめされている。そして、数々の名勝負を生んだこの大会の中でも特異な一戦だった。

 ステアウアは当時の「普通のサッカー」をしていた。ところが、ミランは「普通でないサッカー」だった。名門ステアウアはまったくどうしていいかわらないうちに、点差だけが広がっていったワンサイドゲームである。あそこまで一方的な展開になるファイナルは珍しい。

 ミランの「普通でないサッカー」は1987-88にアリーゴ・サッキ監督が就任してから始まっている。従来のイタリアの常識を根底から覆し、ゾーンディフェンスの[4-4-2]とコンパクトな陣形、息もつかせぬプレッシャーと極端なハイライン、奪った瞬間に繰り出される攻撃で、対戦相手を次々にノックアウト。わずか2敗でスクデットを獲得した。  
 ミランのサッカーは普通ではなかった。現在は、むしろ普通のサッカーになっているが、それはミランがあったからなのだ。当時のミランと対戦した相手は、「あれがサッカーなら、我われがプレーしてきたのは何なのだ?」と嘆息していた。FWからDFまでが30m以内に詰まっていて、その中で強烈なプレッシャーをかけてくる。相手に何もさせず、蹂躙し粉砕した。それまでにもダイナミックなチームはあったが、ミランはその上を行くアグレッシブさであり、度を超えた侵略性さえ感じさせるまったく新しいサッカーを披露していた。1988-89のファイナルは、そのハイライトだった。

  衝撃的なミランの秘密を探ろうと、「ミラノ詣で」が行われている。各国の指導者がミランの練習場ミラネッロに押しかけた。ヨーロッパだけでなく、遠く日本から見に行った人もいた。そのせいもあってミランの戦術は徐々に一般化していくのだが、しばらくミランの優位性は揺るがず、1993-94のファイナルではヨハン・クライフ監督率いるバルセロナを4-0で大破してヨーロッパチャンピオンになっている。ただ、衝撃の大きさから言えばステアウアに対する4-0の方が上だろう。サッカーがもはやそれまでのサッカーではなくなったと思わせる、ある種異様なゲームだった。

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最終更新:9/19(木) 14:25
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