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現代プレッシング戦術の源流“グランデ・ミラン”の四精鋭

9/19(木) 12:13配信

footballista

ハードワークと創造性の両立

 1993-94のUCLファイナルを前に、バルセロナのヨハン・クライフ監督はこう話していた。

「攻撃か守備か、サッカーの未来を決める試合だ」

 ドリームチームを率いるクライフは自信満々だった。7年にわたってヨーロッパのトップに立ち続けたミランの戦術は、すでに多くのチームに模倣され「普通」に近づいていた。一方、バルセロナは卓越したパスワークでミランとは違う意味で普通の領域を超えていた。フィールドを広く使い、四角に固めるプレッシングの上から円をかぶせて無力化することに成功していたのだ。バルサにはミランの模倣者たちを分解する力があった。

 下馬評もバルサだった。クライフの自信とは別に、ミランの重鎮バレージの欠場が決まっていたからだ。ルート・フリット、フランク・ライカールトは移籍してしまい、マルコ・ファン・バステンも負傷中、黄金期の看板だったダッチ・トリオもいない。サッキからファビオ・カペッロ監督に引き継がれてから、セリエAの4連覇などサッキ時代より好成績を残していたが、当初の衝撃が薄れたせいかピークは越えたと思われていた。

 ところが、結果は予想もしない4-0、ミランの完勝だった。バレージの代わりにCBを務めたのはパオロ・マルディーニ。いつもの左サイドから1つ中央へポジションを移したマルディーニは、バレージ欠場をまったく感じさせなかった。バレージ引退後のセンターポジションで新境地を拓き、長くミランの象徴としてプレーすることになる。

 父親のチェーザレもミランとイタリア代表でプレーし、ユース時代は「チェーザレの息子」と呼ばれたが、10代でトップチームにデビューするとすぐにチェーザレの方が「パオロの父」となっている。長身でスピード抜群、両足を使えて攻撃力も素晴らしく、紳士的な振る舞い、精神力の強さなど、非の打ちどころのない逸材である。

 バルサとの決勝では、中盤でパスワークを破壊し続けたマルセル・デサイーの活躍が光った。攻撃ではデヤン・サビチェビッチが「ジェニオ」(天才)と呼ばれた閃きを見せている。ただ、中盤でのハードワークとクリエイティブなプレーを両立させたズボニミール・ボバンも忘れがたい。

 この時期のミランは、初期よりも少し「普通」になっていた。他との比較だけでなく、サッキ時代ほど極端なハイラインではなくなっている。カペッロ監督はリスクを軽減し、先進性と引き替えに安定感を手にしていた。そのため異常なほどのコンパクトさもなくなり、必然的にMFがカバーしなければならないエリアは広くなった。サッキ時代のアグレッシブさとは別のハードワークが要求されている。プレス一辺倒ではなく、時には引いてスペースを埋めなど柔軟なプレーが求められた。

 しかし、ただハードワークするだけでなく、ここという時には「違い」を作らなければならない。ハードワークだけなら、ミランを模倣したチームと同じになってしまう。チームの一員として、歯車の1つとしての仕事をこなしつつ、余人では代えられない個性を発揮すること。ミランのMFに求められる水準は高く、それに応えたのがディミトリオ・アルベルティーニ、ロベルト・ドナドーニであり、クロアチアから来たボバンだった。もともと天才肌のプレーメーカーだったが、ミランではハードワーカーでもあった。

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最終更新:9/19(木) 14:25
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