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“天才”はどうやって育ったのか? 三谷幸喜の幼少期を母親が明かす

9/19(木) 7:00配信

ザテレビジョン

9月19日(木)放送の「直撃!シンソウ坂上」(毎週木曜夜9:00-9:54、フジテレビ系)で、三谷幸喜を特集する。

【写真を見る】三谷幸喜の母・直江さんへのインタビュー映像も!

■ 母の日に人形劇をプレゼント!

ドラマ「古畑任三郎」(1994年ほか)シリーズや映画「ラヂオの時間」(1997年)など、数多くの人気作品を世に送り出し、公開中の映画「記憶にございません!」の監督・脚本を務める三谷。番組では、三谷が脚本を担当したドラマの歴代視聴率トップ3を、懐かしい映像とともに振り返る。

さらに、三谷の母親・直江さんを訪問し、彼がどのように育ったのかを探っていく。

三谷は1961年に東京で生まれ、母と祖父母、さらに年が離れたおじやおばら、7人に囲まれて生活していた。

大人たちの言葉が飛び交う家庭環境で育ち、近所のおばさんに会えば「奥さん、よくお会いしますね」と大人びたあいさつをし、もらったお年玉の大部分をミステリー小説につぎ込むような少年だったという。

当時、人形遊びに夢中だった三谷は、母の日のサプライズとして、直江さんに人形劇をプレゼント。

それは、直江さんの部屋いっぱいに人形を配置し、1つの“村”を作り上げたセットで、音楽や照明を駆使しながらストーリーを作り上げる大作だった。

そして、三谷の才能を感じていた直江さんは、息子が当時憧れていた“喜劇王”チャールズ・チャップリンに会うため、2人でスイスまで会いに行ったという。

スタジオでは、三谷が人形劇を企画した背景や、チャップリンに会いに行った際の顛末(てんまつ)を明かす。

■ 三谷幸喜の運命を変えた1本の電話とは?

また、劇団「東京サンシャインボーイズ」旗揚げや、ドラマ「やっぱり猫が好き」(1988年)脚本のオファーなどについてのエピソードも紹介する。

演劇の世界を目指し、日本大学芸術学部へ進学した三谷は、在学中に劇団「東京サンシャインボーイズ」を旗揚げ。中心メンバーだった西村まさ彦、梶原善、相島一之は、現在も活動を続けている。

旗揚げ当初は全く客が入らず、劇団は赤字運営だったそうで、劇団の活動資金を得るために三谷はテレビの放送作家のアルバイトを始める。だが、企画会議では雰囲気になじめず、積極的な発言ができなかった。

無職状態に陥った三谷だったが、そんな不遇な時期に運命を変える1本の電話が。それが、「やっぱり猫が好き」脚本のオファーだった。三谷は、この作品をきっかけに大ブレークする。

さらに、担当作品に「東京サンシャインボーイズ」の劇団員を出演させることで、劇団自体も有名になっていった。

だが、人気絶頂の1994年に「東京サンシャインボーイズ」は活動を休止。活動休止後、それぞれのフィールドで活躍していた劇団員たちは、活動休止から8年後に願わぬ形で再集結することに。きっかけとなったのは、三谷と大学の同期で、劇団の中で最も頼りにしていた俳優・伊藤俊人さんの早過ぎる死だった。

スタジオで三谷は、活動休止を決めた際の思いや伊藤さんへの思い、そして伊藤さんが亡くなった際の病室での驚くべきエピソードを語る。(ザテレビジョン)

最終更新:9/19(木) 7:00
ザテレビジョン

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