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江川卓&原辰徳「1980年代G投打のスターが背負った宿命」/プロ野球20世紀の男たち

9/20(金) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。

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原の加入で変わった江川

 1980年はプロ野球の歴史、特に、その中心にいた巨人の歴史におって、分岐点だった。オフに長嶋茂雄監督が事実上の解任、そして王貞治が現役を引退。王は助監督として巨人に残ったものの、プロ野球を国民的な人気スポーツへと昇華させ、V9という空前絶後の黄金時代を引っ張った“ON”が去ったことに衝撃を受け、喪失感を覚えたファンも多かっただろう。

 さらには、西武では野村克也が、中日では高木守道が、60年代から70年代のプロ野球を支えてきた名選手もグラウンドを去った。ほぼ時を同じくして、巨人にドラフト1位で指名されたのが原辰徳。巨人にあっては“ON”の穴を埋める存在であり、それだけで相当な重圧なのだが、喪失感に覆われたプロ野球に現れた若きスターには、その後のプロ野球を引っ張る宿命さえもが背負わされているようにも見えた。

 ところが、そんな明るい若者の存在が、もう1人の男が背負っていた宿命を少しだけ、軽くしたように見えた。江川卓だ。原と同様、高校、大学で注目され、ドラフトでは“江川事件”とも言われる前代未聞の騒動となり、一転、プロ野球では“悪役”となり、巨人でも孤立しているように見えた右腕。大学時代から仲がいい原の加入で、目に見えて笑顔が増えた。

「ようやく(ドラフトでの浪人時代の)1年間のブランクが戻った」(江川)

 というだけではなかっただろう。翌81年、江川はキャリアハイ。20勝、221奪三振、防御率2.29は、すべてリーグトップの数字でMVPに。二塁手としてスタートした原だったが、三塁の中畑清が故障離脱したことで本職の三塁へと回り、そのまま22本塁打を放って新人王。藤田元司監督1年目の巨人は4年ぶりリーグ優勝、V9以来となる日本一に輝いた。

 ただ、彼らの重圧との戦いが終わったわけではなかった。江川は主軸を目の覚めるような快速球で抑えたと思えば、下位打線に痛打を浴びることも多く、その落差の激しさもあって、たびたび批判にさらされる。“ON”と比べられ続けた原は、83年には四番打者として自己最多の103打点で打点王にも輝いているが、「勝負弱い」というバッシングを受けた。これが巨人のエース、そして巨人の四番が背負う宿命なのかもしれない。ただ、その重責を彼らが放棄したことは、一度もなかっただろう。

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最終更新:9/20(金) 11:15
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