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開幕戦3トライ 松島幸太朗「悲しみを乗り越えて」日本の至宝に

9/20(金) 21:47配信

FRIDAY

ロシアとの初戦を30ー10で快勝した日本代表。勝利に大きく貢献したのは3トライを決めた松島幸太朗だ。彼をジャパンの若きスピードスターに成長させたのは、父親の死と幾多の困難だった。知られざる秘話を公開する。

日本人初のW杯ハットトリック 松島幸太朗のトライシーン

◆中学生時代から「別次元」の走りだった

178cm、88kgのサイズは、国際的なバックスプレーヤーとしては小柄な部類に入る。しかしピッチでの存在感なら特大だ。爆発的な加速と「目の前から消える」と評される鋭いステップで相手防御を切り裂き、一気にトライラインまで駆け抜ける。細身のシルエットながらコンタクトは頑健で、堅実なディフェンスでも貢献度は高い。

ジンバブエ人で新聞記者の父・ロドリックさんと、NGO(非政府組織)の研究員である母・松島多恵子さんの一人息子として、南アフリカの首都プレトリアで生まれた。6歳まで南アフリカで育ち、小学生時代は東京で過ごす。サッカー好きだった父の影響で当時はサッカーをやっていたが、中学1年の冬から1年間南アフリカに留学した際にラグビーと出会い、たちまち夢中になった。

帰国後は東京のラグビースクールに入り、3年時は東京都スクール選抜の一員として花園ラグビー場で行われる冬の全国大会に出場。優勝候補の地元の大阪府中学校選抜との準決勝では、別次元の走りを連発して独走トライを重ね、会心の勝利の立役者となった。

進学した桐蔭学園高校でも1年時からレギュラーに定着し、2年時には飛び級で高校日本代表入り。3年時は八面六臂の活躍でチームを冬の全国大会(花園)初優勝に導いた。準決勝の大阪朝鮮高戦、自陣ゴール前から約100mをひとりで走りきって挙げたトライは、高校ラグビー史に残る語り草だ。

◆3年間、校長先生に年賀状を送った

桐蔭学園ラグビー部の藤原秀之監督は、3年間松島の担任でもあった。生徒としての当時の様子を「ごく普通の高校生でしたよ」と振り返る。

「シャイで寂しがり屋。人見知りはするけど根は人懐こくて、仲のいい柔道部の同級生にしょっちゅうちょっかいを出していました。学校生活で悪い評判は一切なかったですね。他の先生に聞いても、授業を受ける姿勢がいいから『松島を見習え』と言われるくらいだったそうです」

在学中の出来事で印象に残っているのは、高校2年の冬に、父ロドリックさんが急逝した時のことだ。藤原監督は進路相談も含め三者面談をするために海外で仕事をするロドリックさんとメールでやりとりをしており、ひと月後に会う予定だったという。

「辛かったと思います。あんなに落ち込んだ姿は、見たことがなかったので」

ちょうど高校日本代表の合宿がある時期で、一時は辞退させることも考えたというが、「行かせてください」という母・多恵子さんの後押しを受け、海外遠征にも参加した。

さまざまな思いを胸にラグビーと向き合ったこの時期の経験が、本人にとって大きな転機になったのは確かだろう。そしてこのエピソードに象徴されるように、多恵子さんの育て方が松島の人生に与えた影響は大きかったと、藤原監督は話す。

「在学中の3年間、松島は毎年校長先生に年賀状を書いていたんです。お母さんからもすごくきれいな字で毎年手紙が送られてきたそうで、校長先生も『こんな親御さんはいない』と驚いていました。そういうことがなくなってきたこの時代に、すごいお母さんですよね。あのお母さんにしてあの子あり、と感じます」

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最終更新:9/20(金) 22:36
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