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「死刑をなくそう市民会議」設立集会に中山千夏氏ら350人

9/20(金) 19:16配信

週刊金曜日

 8月31日、東京・明治大学リバティホールで「死刑をなくそう市民会議」設立集会が開かれ、主催者発表で350人の参集があった。

 昨年はオウム死刑囚13人の大量執行があり、令和になってからも2人の死刑がおこなわれた。米国が約半数の州で廃止もしくは停止しているなかで、日本は先進国で唯一の死刑存置・執行国となった。その背景には、80%の国民の「賛成」がある。いまや世界の恥となった死刑制度の廃止にむけて、国民的議論を起こそうと発足したのが市民会議だ。その国民的な議論のための論点を、集会の発言のなかから拾ってみた。

 中本和洋前日本弁護士連合会会長は、死刑は人が判断する以上、誤判の可能性を持っていることを挙げた。中本氏によれば1910年から2010年までに、162件のえん罪が発見されているという。えん罪で執行されれば取り返しがつかない。いっぽうで「自分の家族が目の前で殺されても、死刑反対と言えますか?」という厳しい批判を受けたことがあるという。これは常にあらわれる議論だ。

 存置論の論理構成は、被害者感情が死刑を求めるとするものだ。そして「死刑で殺人を抑止する」のだと。まず、この「被害感情」から自由な人はいない。誰でも肉親を殺されたら、加害者を死刑にしたいと思うはずだ。筆者も例外ではない。けれども、人が人を殺してはいけないのと同じく、国家が人を殺してはいけない。と語るのは、作家の中山千夏さんである。「この社会が生み出した殺人に、第三者であるわたしたちは罪悪感があるから、被害者に寄り添おうとするのです。そこから加害者を死刑にしてしまえということになる。人を殺してはいけないという立場が、死刑で人を殺す立場になってしまう。人を殺さない社会をつくるために、わたしは死刑を廃止したい」

 死生学が専攻の金山明生明大名誉教授は「人間は網の目のように、関係でつくられているんです。これを『業縁』と言います。人を死刑にするのは網の目をなくしてしまうことになる」という。そこから社会が壊れるというのだ。玉光順正さん(東本願寺・元教学研究所所長)は「加害と被害の双方から考えることが必要。死刑を煽るような、殺意のあふれる社会にしてはならない」と語った。そうしないためには「自分で考えること。大変なことだが、一つひとつの事件を自分で考える」ことだという。

 もうひとつ。存置論がいう「死刑で殺人を抑止する」は、死刑廃止国の統計では殺人発生率が低減している事実(『犯罪白書』)から、有効な議論とはいえないことを指摘しておきたい。

【被害遺族の立場から】

 共同代表世話人の片山徒有さんは、息子を交通事故で亡くしている。加害者が不起訴処分だったことから独自に事故を調査して、検察の誤りが正された。以来、法務省の依頼のもと受刑者たちに、被害者の視点から矯正のための講演などを行なう。4人家族の息子が失われるということは「食卓の脚が一本なくなることでした」として、家族を継続するにはこの脚の欠けた食卓を「あなたが支えてくれますか」と、加害者に問いかけることだったという。そして「被害は社会が引き継ぎ、回復するものなのです」と語った。「網の目」と「継続」。いずれにしても、加害者に死刑を押し付けるのではなく、社会が犯罪を引き受けなければならないのだ。死刑廃止は人を殺さない社会を展望することにほかならない。同じく共同代表世話人の菊田幸一明大名誉教授は「終身刑の導入で死刑を中止すること」が可能だと提起した。傾聴に値する。

 ところで、80%が死刑賛成という世論は、死刑廃止を実現した国でもめずらしいものではない。1969年に廃止したイギリスでは81%の国民が存置賛成だった。フィリピンは2006年に廃止したが、やはり80%が存置賛成である。人を生かす社会をめざすのか、人を殺す社会のままでよいのか。政治の決断がもとめられる。そして政治を動かすのは、わたしたち国民だ。あなたはどう考えますか?

(横山茂彦・編集者、著述業、2019年9月6日号)

最終更新:9/20(金) 19:19
週刊金曜日

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