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「謝罪の気持ちは?」「ないです」部下の自死、裁判で上司が…

9/20(金) 9:00配信

幻冬舎ゴールドオンライン

本記事では、朝日新聞記者・牧内昇平氏の著書、『過労死: その仕事、命より大切ですか』(ポプラ社)より一部を抜粋し、長時間労働だけでなく、パワハラ、サービス残業、営業ノルマの重圧など、働く人たちを「過労死」へと追いつめる職場の現状を取り上げ、その予防策や解決方法を探っていきます。

どうして退職を踏みとどまらせてしまったのか…

2010年初冬、全国有数の繁華街「渋谷センター街」に立つ商業ビルで、当時24歳だった青年が自ら命を絶った。ビルの4階にあるステーキ店の店長を務めていた心やさしい青年を追いつめたのは、極度の長時間労働と上司からの暴行だった…。

前回の続きです(関連記事「 大型しゃもじが頭頂部に…上司から受け続けた理不尽な暴力とは 」参照)

カズさんが亡くなった日から、後悔の念が政幸さんを襲わない日はない。

「カズが死ぬのを防ぐ機会は少なくとも3回あったんです」

かつて閉店後に息子と通っていたという入谷のそば屋で、一緒にそばを食べた後、政幸さんは右手の指を折りながらわたしに語り始めた。

「わたしが『Kで働いてみないか』と誘っていなければ。わたしが辞めた時に一緒に退社させていれば。そして、あの夏、あいつが『辞めたい』と言った時に引き留めなければ」

親指から中指まで折られた自分の右手をじっと見つめる表情には、見ているこちらも辛くなるほどの自責の念が滲み出ていた。これまでなんどもこの自問自答を繰り返して来たのだろう。政幸さんの言う「あの夏」とは、和孝さんが亡くなる3カ月前、2010年8月を指している。

蒸し暑かった8月のある夜、和孝さんが急に「これから帰る」と電話してきた。終電で帰ってくる息子を、政幸さんは自転車で駅まで迎えに行った。帰りがけにコンビニで缶ビールを三本買った。父と子で久々に飲むつもりだった。

ちゃぶ台を囲んでビールをすすっているとき、和孝さんが問わず語りに口を開いた。

「AがSの役員になる。これからはもっときつくなるから、会社を辞めたい」

そんな趣旨のことを話していたと記憶している。和孝さんは具体的なことを話さなかったから、政幸さんも息子が暴力を受けているとは気づかなかった。辞めること自体に反対する気はなかった政幸さんだが、それでも退職後の息子の生活には不安を感じた。当時はリーマン・ショックの直後で景気が低迷していたからだ。政幸さんの口をついて出たのは、こういうとき多くの親が提案するであろう安全策だった。

「辞めるのはいいが、せめて次の仕事が決まってからのほうがいいんじゃないのか」

数日後、和孝さんが「もう少し続けてみる」と連絡してきた。それを聞いて、ホッとしていた自分が今となっては恨めしい。

あのときどうして退職を踏みとどまらせてしまったのか──。なぜ息子の背中を押してやれなかったのか──。

どう悔やんだところで息子は帰ってこない。どうすることもできない後悔の念に政幸さんはずっと苦しみ続けている。

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最終更新:9/28(土) 9:48
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