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女子バレー中田久美監督「金」を諦めるつもりは毛頭ない

9/20(金) 10:21配信

日経ARIA

オリンピックというひのき舞台で輝いたスポーツ界のヒロインたちの「その後」は、意外に知られていません。競技者人生がカセットテープのA面だとすれば、引退後の人生はB面。私たちの記憶に残るオリンピアンたちの栄光と挫折に、ジャーナリストの吉井妙子さんが迫ります。

【関連画像】

(上)ロス五輪は「屈辱の銅」だった

(下)「金」を諦めるつもりは毛頭ない ←今回はココ

●「このけがでスポーツ界に戻った人はいない」からの復活劇

―― ロス五輪では「屈辱の銅メダル」でしたが、ソウルでは4位、バルセロナでは5位。メダル獲得はなりませんでした。

中田久美さん(以下、敬称略) 20歳で全日本の主将になり、ソウル五輪に向かってさあこれから、というときに右膝の靭帯を断裂してしまったんです。ソウル五輪まで2年を切っていた。医師には「日常生活ができるようになるだけで御の字」と言われ、「このけがでスポーツ界に戻った人はいない」と告げられましたけど、「だったら私が復帰第1号になってやる」と苦しいリハビリに耐えました。1年後に復帰。でもがくぜんとしました。自分の感覚に体が追いつかないんです。消えない激痛にも悩まされました。

 ソウル、バルセロナでは痛み止めを注射しながら出場しましたが、後で当時の映像を見ると足がパンパンに腫れ上がっている。今思うと、あんな体でよくトスを上げ続けたなと思いますね。バルセロナ後に12年間の現役生活に終止符を打ちました。自分ではやり切ったと思ったし、金メダルを取れなかった悔しさは、心の底に封印してしまおうと。

―― 引退後に29歳で結婚し、離婚。その後はパリコレモデルやバレーの解説者、テレビコメンテーターとして活躍しました。

中田 結婚生活は3年と短かったですね。モデルの話はいろいろいただいていたのですが、どうせならパリコレを目指そうと思いました。

現役時代に日の丸を背負った重さに比べれば…

中田 モデルクラブの社長に1週間で5キロ痩せてきなさいと言われ、即実行。社長は私の意思を確かめたくて高いハードルを与えたみたい。でも実際に痩せてきた私を見て驚いていましたが、現役時代に日の丸を背負った重さに比べれば、短期間での痩身なんて簡単でした(笑)。花井幸子さん、イブ・サンローラン、そしてエルメスなどのランウエイを歩きました。

 バレー中継の解説は10年近くやりましたが、外からバレー界を見ていて「これでいいのか」といつも感じていました。私の名前をインターネット検索すると必ず「てめえら、この野郎」という一文が出てくるそうですが、それは確かアテネ五輪の直前のこと。五輪出場権を手にした選手たちがテレビ局ではしゃいでいました。私からすれば、女子バレーは金メダルがミッションのはずなのに、出場権を取ったくらいで浮かれている。そんな後輩たちに、勝負はこれからと「活」を入れるつもりで言ったんですけど、まさかマイクがオンになっていたとは。

 ただ、中継席に座りながら、女子バレーの実力や人気が徐々に下降線をたどる現実に、焦りを感じていたのは事実。私たち世代が女子バレーの伝統を後輩につなげていなかったんじゃないかと、自責の念もありました。

―― ちょうどその頃、心の支えだったお父様ががんで余命3カ月の宣告を受けました。

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最終更新:9/20(金) 10:21
日経ARIA

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