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『エヴァンゲリオン』で自分の“鬱”に気づけた米紙記者─「碇シンジが僕と同じ経験をしている」

9/21(土) 11:00配信

クーリエ・ジャポン

『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の公開が2020年6月に迫るなか、TV放映版『新世紀エヴァンゲリオン』の初の国際配信が、6月にネットフリックスで始まった。

『エヴァ』を初めて観るまで、自分自身の感情をいったいどう説明すればいいのかわからなかった──という米紙「ワシントン・ポスト」のSNS担当編集者が、自身の過去とともに『エヴァ』への想いを赤裸々に語っている。
人生のささやかな瞬間は、気がつけばその存在を主張しているものだ。たとえあなたが思いだそうとしなくても、些細だが消えることのない痕跡を残している──。

ひとり暗い劇場に座り『ファーゴ』を観たのは1996年のことだった。映画を一緒に観てくれる友人はいなかった。わたしはそのとき15歳で、とにかく友だちなど一人もいないと感じていた。座席はほとんど空席で、一組の中年カップルが暗闇のなかでイチャついていた。

「あいつら、よくもまぁ」

非難の気持ちを込め、苦虫を噛みつぶしながらわたしは思った。これは真面目な映画で、観客の注意を要求するんだ! とはいえその「観客」もわたしひとり。それもさっきまで、映画に没入して、カップルに気づいてすらいなかった。

わたしの怒りは言葉にできない孤独のなかに溶けこみ、おかしいのは自分のほうだという考えが残った。二人組がひとつに、一人組がひとつ。多数派が支配する。彼らはクスクス笑いあい、わたしは存在しない誰かにむけて顔をしかめた。

「第四話」に心を重ねて

1年後、わたしはこれとまったく同じ経験をするキャラクターを画面の中で観た。その人物こそ14歳の碇シンジ。ネットフリックスで先日、初の国際配信が始まった有名テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公だ。

シリーズ序盤、人類を救うために造られた巨大な「エヴァ」を操縦することを強制された碇は、この迷惑な重責から逃げだしてしまう。

彼は公共交通機関の座席に座り、なんども同じ曲を聴き、どこへともなく足早に進み、人生に自分の居場所があるのか考えるため、最終的に劇場へとたどりつく。カップルが目の前ではしゃぎ、碇はすぐさま怒りと哀しみに打ち負かされる。そして眠るために公衆ベンチへ移動する。

このシーケンスのあいだ、彼は一言も発しない。

『ファーゴ』を観たわたし自身の経験と同じく、このシーケンスはささやかなものだ──とくに謎の「使徒」とエヴァが戦闘をくり広げるアニメシリーズにおいては。

それでも『エヴァンゲリオン』は、この短いシーケンスとともに、わたしがはじめて自分の心の健康について何事かを理解する手助けをしてくれた。

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最終更新:9/21(土) 11:00
クーリエ・ジャポン

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