ここから本文です

「IQは145」南パリで“神童”と崇められた男・サンマクシマン【フランスの逸材ルーツ探訪】

9/21(土) 6:31配信

SOCCER DIGEST Web

十種競技でも王者となった幼少期

 昨シーズンのリーグ・アンで主役級の活躍を示し、今夏にプレミアリーグへとステップアップの移籍を実現した二コラ・ペペ、タンギ・ヌドンベレ、アラン・サンマクシマンの3選手は、どんなバックグラウンドの持ち主か。

【動画】リーグ・アン公式が厳選! サンマクシマンがニース時代に決めたゴラッソ

 それぞれルーツに迫るこの企画の3回目は、ニースから渡ったニューカッスルで10番を託された逸材、アラン・サンマクシマンだ。

――――◆――――◆――――

 パリから誕生するフットボーラーの多くは郊外の出身だ。一口に郊外と言っても環境や階層はさまざまで、アラン・サンマクシマンは南のムドンという比較的裕福で静かな町の出身。パリ大学行政部門の運転手を務める父、ムドン公立幼稚園の園長として働く母の下、中産階級の家庭で育った。

 少年時代のアランは、あらゆる分野で神童と崇められる存在だった。母によれば、IQは145だったという。優れていたのは知能だけではない。クロスカントリー、デカスロン(十種競技)などでパリ地方のチャンピオンに輝く一流のアスリートだった。

 フットボールのピッチに立てば、誰よりも速く、誰よりも長く走り、誰よりもインテリジェントで、誰よりも正確なテクニックを誇っていた。パリ南郊のリス・オランジスで最初にアラン少年を指導したディディエ・ドゥモンシー監督は言う。

「われわれは彼に、試合中はスリータッチでボールをさばき、必ず両足を使うようにと、そう指導していた」

 その甲斐あってか、両足を器用に使いこなす。もっとも、球離れの悪さは改善されたとは言い難い。ボールを持ったときの最初の選択肢は、つねにドリブルだ。ニースでチームメイトだったマリオ・バロテッリが「スパゲッティ」と呼んだドレッドヘアを振り乱しながら、ひたすら独力で突破を図ろうとチャレンジする。

わずか6か月でINFを退学…。救いの手を差し伸べたのは?

 少年時代の伝説は、10歳で入団したブーローニュ・ビヤンクール(通称ACBB)での初試合。ひとりで8ゴールを挙げてチームを勝利に導いた。

 その後、1998年ワールドカップの優勝メンバーであるベルナール・ディオメドが設立した私立アカデミーで1年を過ごし、13歳になるとサッカー連盟直轄の育成施設、INFクレールフォンテーヌに入学。エリートコースを進んでいた。

 しかし、INFではわずか6か月で退学を命じられる。数人が絡んだ“いじめ騒動”に関与してしまったからだ。良心の呵責に苛まれ、ただ一人、過ちを告白した結果だった。

 そんな彼に救いの手を差し伸べたのが、サンテティエンヌだった。スカウト担当のドミニク・フェルナンデズは、当時受けた衝撃をこう語っている。

「私の20年に及ぶスカウトキャリアで、これほど才能に溢れた若者は一度も見たことがなかった」

 そこからモナコ、ハノーファー、バスチア、ニースと渡り歩き、ニューカッスルに辿り着いたドリブラーは、初挑戦のプレミアでどんなインパクトを残すのか。

構成●ワールドサッカーダイジェスト編集部

※『ワールドサッカーダイジェスト9月19日号』より転載

最終更新:9/21(土) 6:31
SOCCER DIGEST Web

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事