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山伏に変装して流刑地から脱出した真田幸村|真田幸村と十勇士

9/21(土) 16:05配信

幻冬舎plus

山村竜也

NHK大河ドラマ『真田丸』でも注目を浴びた伝説の戦国武将、真田幸村。大阪夏の陣で宿敵・徳川家康を追いつめ、見事に散った幸村は庶民のヒーロー的存在となり、のちに「真田十勇士」という架空の物語まで生まれました。『真田幸村と十勇士』は、幸村の波乱万丈の人生と、十勇士の誕生に迫った一冊。なぜ幸村は、これほどまでに日本人に愛されるのか? 特別にその一部をご紹介しましょう。*   *   *

大坂に到着した幸村は……

九度山村を脱出した幸村は、数日後に大坂に到着した。大坂ではまず、豊臣家を淀殿とともに仕切っている大野治長の屋敷を訪ねている。

『武林雑話』によれば、このときの幸村は他人の目をあざむくためか、剃髪して山伏の姿となり、伝心月叟と名乗っていた。妙な山伏があらわれたものだから、大野屋敷の門番はいぶかしみ、「どこから参られた」と尋ねた。

幸村はわざと正体を明かさずに、

「大峯のあたりの山伏でございますが、ご祈禱の巻数を差し上げたいと思い、殿様にお目通りをお願い申し上げます」

といった。門番は胡乱なやつと思ったが、むげに追い払うのも気が引けたので、

「殿はご登城してお留守だ。こちらでご帰宅まで待って、お目通りなされ」

と、番所の脇に幸村を連れていき、立ち去った。

幸村が仕方なくそこで待っていると、近くにいた大野家の若侍十人ばかりが刀の目利きの話を始めた。そのうちに若侍の一人が幸村も腰に刀を帯びているのに気づき、「和僧の刀も見せられよ」と話しかけてきた。

幸村はやれやれと思いながら、

「山伏の刀は犬おどしのためなので、お目にかけるようなものではありませんが、おなぐさみにでもなれば」

と腰の刀を差し出した。それを若侍が鞘から抜いてみると、刃の匂いや光り具合がなんともいえない。「さてさて見事なもの」と絶賛するばかりだった。

驚いたほかの者が、「山伏はよい刀を持っておられるな。脇差のほうも見せられよ」といって、同じように抜いてみたが、やはり見事な出来で言葉を失うほどだった。

これは名のある刀に違いないと思った一同は、中子(刀身の柄のなかに入った部分)を見せてほしいといって、柄をはずして銘を確認したところ、刀には正宗、脇差には貞宗と刻銘されていた。

相州正宗、及び養子の貞宗は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期に活躍した刀工で、その作品は名刀として知られている。そんな高級な刀剣を山伏ふぜいが持っていたのだから、若侍たちは驚き、「ただ者ではないな」と警戒した。

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最終更新:9/21(土) 16:05
幻冬舎plus

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