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「表現の不自由展・その後」と、飼いならされるわたしたち――あいちトリエンナーレ2019|現代アートは本当にわからないのか?

9/21(土) 6:05配信

幻冬舎plus

村上由鶴



 

あいちトリエンナーレ2019のロゴをよく見ると、「Taming Y/Our Passion」という英語表記があります。「Taming」は「飼いならすこと」、「Y/Our Passion」は「あなた/わたしたちの(感)情」を示しています。この英語のテーマ、「情の時代」という日本語のテーマにやや詳細なニュアンスを加えつつ、あいトリが直面している感情的な批判や脅迫を予言していたかのよう。

怒りをコンピュータウイルスのようにばらまき、ひとりひとりの感情をハッキングして、その延長線上の社会を乗っ取ることが現実となりつつある現代は、まさに感情に飼いならされた時代。
前回に続いて「あいトリ2019」後半となる今回は、この「Taming/飼いならす」というテーマに関わる作品を紹介していきます。

まず、アンナ・ヴィットの《60分間の笑顔》は、スーツに身を包んだ男女がカメラに向かって60分間微笑み続ける映像作品。
だんだん疲れて飽きている人や、腰や肩がこっているような仕草を見せる人などを映し出していて、これ自体はキュートなおもしろさがある作品となっています。

 

 

とはいえ、「その場で微笑んできちんと立っていろ」というのは、なにも特殊な場面設定ではありません。幼稚園から学校、会社、老人ホーム、そして家庭と、あらゆる社会や集団において、ほとんどの人がなんらかのかたちで経験すること。ですが、このように映像を通して「要求する側―従う側」という構造を改めて見せられると、わたしたちの社会がこうした小さな飼いならしの連続によって成り立っていることを思い出させてくれるのです。 

そして、展覧会のメインビジュアルにも用いられているピエロの作品、ウーゴ・ロンディノーネの《孤独のボキャブラリー》も「飼いならし」に関する作品でしょう。

 

 

よく見ると、ぴかぴかの華やかな衣装とは対照的に、すべてのピエロのお面がうっすらと汚れています。「そとづら」が傷ついたピエロは、わたしたちがときに孤独を隠して「道化」に扮したり、その場にふさわしい「そとづら」という盾を装備することで社会のなかでいっちょまえにふるまい、ときにその盾に傷を負うことまでも示しているかのようでした。

さて、「飼いならす」といえば、日本がかつて他国を統治する過程で行った同化政策、あるいは国内での「一億玉砕」といった、戦時中に起こった「飼いならし」に光を当てる作品も印象的でした。

毒山凡太朗の《君之代》は、日本統治時代の台湾で日本流の教育を受けたお年寄りに、「日本の歌、なにか覚えていますか?」と聞き、歌を歌ってもらいつつ、当時のことをインタビューする映像作品。
映像に登場するお年寄りは「もういろいろ忘れちゃってるから」とか「健忘症で」と言いつつ、ひとたび口ずさみはじめると、見事に「同期の桜」や「君が代」「ふるさと」などを歌い上げます。

 

 

はっとさせられるのは、「歌」という装置の驚きの浸透力。
日本の歌は、本当はたぶん、統治のための首輪のようなもの。その首輪のつけ心地は、映像のなかで話をするお年寄りにとっては、そこまで窮屈ではなかったのかもしれない。だけど、いまでもとっても上手に朗々と歌う様子を見て、それはやはり過度な「しつけ」であり、「日本人化」のための教育という歪んだ「飼いならし」であったと感じずにはいられませんでした。

また、藤井光の映像作品《無情》は、戦時中、台湾のひとびとを日本人化するためにいくつも設置されたという「国民道場」の記録映像に対比させ、現在愛知県内で生活する外国人がそれを再現したもの。
こちらは、「飼いならし」の行為を現代にタイムスリップさせることで、おかしさやおぞましさを増幅させています。

 

 

ホー・ツーニェンの作品《旅館アポリア》は、複数の映像からなるインスタレーション。サイトスペシフィック、つまりその場に展示されることの必然性を持つ作品でした。会場となる喜楽亭は戦争の終盤、出撃前の特攻隊が宿泊施設として利用し、「殿様のように」過ごしたといいます。
また、映像では哲学者たちがアメリカとの開戦に反対し、阻止に尽力していた一方で、日本を中心とした「大東亜共栄圏」の構想のもと、フィリピンや台湾などの統治に関しては賛同していたという事実が明かされています。
このように本作には、日本が行った「飼いならし」のバリエーションが凝縮されています。

 

 

そんななかで、「あ、わたしいま飼いならされてる」と感じたのは、キャンディス・ブレイツの《ラヴ・ストーリー》。
俳優のアレック・ボールドウィン(映画『ブルージャスミン』の主人公の夫のクソ詐欺師)とジュリアン・ムーアが、さまざまな理由で祖国から離れざるを得なかった6人の難民のインタビューを演じ直した映像作品です。

ブレイツは「アテンション・エコノミー」(情報過多の時代において、人々の興味・関心を惹くための技術・技巧が、情報そのものの内容より重視されること)をテーマとして制作に取り組んでいるアーティストです。

 

 

ボールドウィンとムーアの話し方はとってもエモーショナル。たまに、生放送のテレビに出ている一般の人にはらはらすることがありますが、そういうのは皆無。悲惨な話だ、とは思うけれど、見ていて不安になることはありません。まさに鑑賞者は、人の興味を惹き、それを持続させるための技巧の実験台になっているかのごとく、ふたりのスーパースターに釘付けになってしまいます。

俳優の映像が流れる部屋の奥では、難民となった当事者のインタビューも流されていたのですが、やはりハリウッドスターが話している映像を鑑賞している人のほうが多かったし、みなさんの滞在時間もそちらが長い印象でした。もちろんわたしも含めて。
事実かどうかではなく、フェイクであってもその語り口や発信の仕方にわたしたちの関心が翻弄されてしまう、まさに「飼いならされる」体験でした。

 

 

さて、あいちトリエンナーレ2019は開始3日で本来の姿ではなくなってしまい、実のところ、わたしは行くのがおっくうになりつつありました。あいトリのことを知ることにも疲れて、ツイッターを遠ざけてみたりもしました。
とはいえ、つい先日も展示再開のために新たにアーティスト主導のプロジェクトが立ち上がるなど、この芸術祭自体が生き物のように変化していくさまが、なんか気になっちゃう、というのも事実です。

本来、美術の展覧会というのは、スタートした時点で凍結された状態にあることが普通です。しかしながら今回のあいトリは、解凍された生の状態。アートに関わる人たちがさまざまな仕方で、芸術祭自体の完成を目指している途中です。その途中の段階を見られる芸術祭なんて、きっとこの先、そんなにないでしょう。てかあったら困る。

もちろん、こうした「解凍状態」が、脅迫という暴力によって起こったことはとても残念でした。そこは本当に許せないし、わたしはぶっちゃけ作品見たかった。閉鎖された展示室の前で普通にがっかりもしました。
それでも、展示を中止にして連帯を示すとか、プロジェクトを立ち上げて表現の自由を守ろうとする「行動」に敬意を示したいし、わたしは行ってよかった。本当に。

会期は残り1か月弱。
良かれ悪しかれ日本の歴史にのこる芸術祭となるでしょう! ぜひ足を運んでみてください。

ではまた!

 あいちトリエンナーレ2019 情の時代
Aichi Triennale 2019 Taming Y/Our Passion会期:2019年8月1日(木) - 10月14日(月・祝) 月曜日休館(祝祭日を除く)
会場:愛知芸術文化センター、名古屋市美術館、四間道・円頓寺、豊田市美術館・豊田市駅周辺
料金:1DAYパス 一般1600円、大学生1200円、高校生600円
   フリーパス 一般3000円、大学生2300円、高校生1100円
web:https://aichitriennale.jp


■村上由鶴
1991年生まれ。日本大学芸術学部写真学科助手。日本大学芸術学部写真学科卒業後、東京工業大学大学院社会理工学研究科にて写真・美学・現代アートを研究。写真雑誌「FOUR-D」などに執筆。

最終更新:9/21(土) 6:05
幻冬舎plus

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