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「手術不能のガンが見つかりました」と新聞広告を打った元社長の願い

9/21(土) 8:01配信

現代ビジネス

「息をしてくれているだけでよかったのに」

 「あの人は本当にいてくれるだけでありがたい存在でした。主人は晩年は喋ることができませんでしたが、隣で息をしているだけで、私は安心できました。どんな状態でもいいから生きていて欲しかったんです」

年金は「夫65歳・妻70歳」から受け取るのが正解だった

 そう振り返るのは、篠沢礼子氏。「あの人」とは、礼子氏の夫で、'17年10月に亡くなった学習院大学名誉教授の篠沢秀夫氏(享年84)のこと。篠沢教授といえば、『クイズダービー』(TBS系)の珍解答者としてご記憶の方も多いだろう。

 ずっと健康で生き続けても、迷惑がられ、「やっと逝ってくれたか」と言われる人がいる。その一方で、寝たきりになったり、長患いを経て亡くなった後も、慕われ続ける人がいる。

 篠沢教授もその一人だ。'09年1月、篠沢教授はALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された。ALSとは筋肉の萎縮と筋力の低下を引き起こす疾患で、最終的には自力で呼吸や嚥下ができなくなる。難病と診断されても、篠沢教授が動じることはなかったという。礼子さんが振り返る。

 「ALSと診断されたとき、私は食事が喉を通らなくなるほどショックでしたが、主人は黙って受け入れていました。主人は8年半の闘病生活を送りましたが、嘆いたり、ネガティブなことは一切言いませんでした。

 おかげで介護をしてくれるヘルパーさんも、みんな喜んで主人に接してくれていました。難病になってからも6冊の本を執筆するほど頭の中は仕事のことでいっぱいだったので、他人に当たったりする暇がなかったのかもしれません(笑)」

 篠沢教授は次第にキーボードを打つのが困難になると、『伝の心』という重度障害者用の入力機器を使うようになった。1時間に20文字ほどしか進まないものの、来る日も来る日も執筆に明け暮れていたという。

 '17年6月、篠沢教授は軽度の肺炎と診断されて入院。容態が急変し、同年10月に他界した。

 「主人はたくさんの思い出を作ってくれました。最期までお世話できて本当によかったと思っています」(礼子氏)

 '12年6月に腎盂がんで亡くなった、タレントの小野ヤスシ氏(享年72)。「ザ・ドリフターズ」の初期メンバーであり、脱退後はリポーター、タレントとして活躍した。

 「闘病中、私が主人に食事を持って行くと、『お前と出会えてよかった。お前じゃないとこんなに面倒を見てくれないよ』と優しい言葉をかけてくれました」

 そう話すのは、小野氏の妻・芳子氏だ。小野氏はがんを宣告されても、「病気になったことは仕方がない。これに打ち克つしかない」と話し、常に前向きに闘病生活を送っていたという。

 「看護師さんと一緒に主人を抱えてストレッチャーからベッドに移すとき、看護師さんに『いま太ももが見えてるよ。別にこっちはムラッとこないけどね』なんて軽口を叩く。そうやって常に周囲を笑わせることを考えていました。そんな冗談のおかげで、病室の雰囲気が和らいで、とても救われました」(芳子氏)

 小野氏は、自身が最も辛いはずなのに、芳子氏に対し「強く生きてほしい」「健康で長生きしてほしい」と労りの言葉をかけ続けた。

 「主人が亡くなった直後は、悲しさと寂しい気持ちでいっぱいでした。それでも、今は楽しかった記憶ばかり思い出すのは主人が私に多くの大切な言葉を贈ってくれたからだと思います」(芳子氏)

 二人に共通しているのは、病を得ても、前向きに生きたこと、そして周囲の人への思いやりを欠かさなかったことだ。だからこそ、この世を去った後も慕われているのだろう。

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最終更新:9/21(土) 8:01
現代ビジネス

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