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もう一度、世界のトップに 東芝会長の原点は、数式を愛した府立茨木高時代

10/2(水) 8:12配信

NIKKEI STYLE

《連載》リーダーの母校 車谷暢昭・東芝会長兼CEO(下)

東芝の経営再建に挑む車谷暢昭・会長兼最高経営責任者(CEO、61)は、大阪府立茨木高校の卒業生だ。同校は川端康成や大宅壮一が前身の旧制中学に通ったことでも知られ、現役の経営者ではパナソニックの津賀一宏社長が、車谷氏の1年先輩に当たる。そんな車谷氏自身は高校時代、意外にも宇宙物理学者に憧れていたという。

高校時代は天文部・数学研究部に所属、宇宙物理学者に憧れた。難しい数式を解いては喜ぶような生徒だった。

茨木高校では、天文部と数学研究部に所属していました。天文部では部長も務めました。屋上で観測するのです。宇宙の神秘に魅力を感じ、無謀にも宇宙物理学者に憧れていました。もともと小学生のころから宇宙に興味を持ち、地元の電気科学館に通っていました。大人の中に1人だけ子供だった私が混じって、京都大学の先生の宇宙講義に耳を傾けていました。中学生のころも望遠鏡をよくのぞいていましたね。

高校の数学研究部では、シュレーディンガー方程式、線型代数学などに取り組みました。ややこしい数式を解くことが楽しかったのです。うまく解けると、にやにや笑っているような生徒でした。当時の私は私服をほとんど持っておらず、詰め襟の制服だけで年中過ごしました。おしゃれとは対極にある青春時代でしたね。

好きなことばかりして過ごしながら、自立心を身につけた高校生活でしたが、いずれ進路を決めなくてはいけません。しだいに親から離れ、東京に進学したいと考えるようになりました。憧れていた宇宙物理学者とは違う道を選ぶことにしました。

母は関西に残ってほしいと強く望んでいましたが、「理系なら湯川秀樹先生が出た京都大学かもしれないが、文系だと東京大学がいい。得意な数学を生かして計量経済学を学べるから」などと、無理やりな理屈で親を説得。一時は「学費を出さないから」とまでいわれたものの、何とか東京進学を認めてもらいました。

1976年に東京大学文科2類に入学、経済学部に進学し、財政金融論を学んだ。一方で哲学書、思想書に大いに親しんだ。

高校時代と同じように好きなことに熱中しました。デカルト、カント、マックス・ウェーバーなどの輪読会を開き、仲間と議論を繰り返しました。特に駒場時代は本当にたくさん読みましたね。若い頃に哲学書、思想書に触れたことが私の人生に大きく影響しています。

なかでも哲学者・仏文学者、森有正の「経験と思想」と出会ったことは貴重な財産です。理論や合理性よりも経験や実証を大事にしたいと考えさせられました。いまでも海外のビジネススクールが説くビジネスモデルには興味がありません。あれは頭のよいコンサルタントが過去を焼き直した内容だとしか思えないからです。不確実性の高い世界にあって、予定調和に生きるよりも、自分の力で考えたことをもとに進んでいきたいのです。

10代で養った自立した考え方は、三井銀行(現三井住友銀行)に入行してからも変わりませんでした。大蔵省に派遣されてオフショア市場創設にかかわり、銀行に戻ってからも、住友銀行との合併、三井生命支援、わかしお銀行との逆さ合併、日興コーディアル証券(現SMBC日興証券)買収など、さまざまな難題に取り組みました。

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最終更新:10/2(水) 8:12
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