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ラグビーW杯に朗報!日本代表にトンプソン ルークが帰ってきた!

10/3(木) 8:13配信

GQ JAPAN

オーストラリア・ラグビー紀行を締めくくるのは、遠征に参加しているサンウルブズ選手のインタビュー。あのジャイアントキリングの当事者であるトンプソン ルークに、南ア戦のこと、そして2019年大会について訊いた。

【日本代表に復帰したトンプソン ルークについてもっと知る!】

5月6日(月)14時、東海岸のビーチリゾート「クージー」にあるホテルにて、3日前にブリスベンで試合を終えたサンウルブズ選手とのインタビューの機会があった。

待ち人は猫背気味にちょっと足を引きずりながらやってきた。トンプソン ルーク、ニュージーランド出身の38歳。身長196cmのベテランロックはTシャツにデニム、オニツカタイガーのスニーカーというラフなスタイルだ。白髪混じりのラグビー小僧は、緊張も興奮もどちらも抑えられない。ボール獲得の最前線で常に体をぶつける仕事人が、ラグビー好きたちが2015年大会のジャパンのMVPに推していたトンプソン ルークが目の前にいる! 骨折をつづけて左右に歪んだ鼻筋はハードワークを厭わない長年の激しいプレイスタイルを物語っている。試合直後だけに今日も顔は傷だらけだ。

仕事はハードワーク

ラグビー史上最大の番狂わせの当事者にも恒例の質問からスタートしよう。

─2015年のW杯、日本が南アフリカに勝ったとき、どう思いましたか?

「絶対に勝てるっていう確信はなかったけど、チームのスタイル、ゲームプランには自信をもってました」

初来日から16年、2010年に日本国籍を取得した38歳は、時折通訳に頼りながらも流暢な日本語でつづける。

─どこらへんから「勝てる!」と?

「集中できていたから、前半は5分くらいに感じました。均衡状態がつづいたことで南アの選手が不安を感じていた。PlayじゃなくてThinkしているのがわかりました。そこで勝てる、と」

─タックルして、立ち上がって、またタックル。密集戦にはいつも4番がいました。あの試合でいちばんハードワークしていたのがルークさんでした。

「それがぼくの仕事ね。いい練習をしてめちゃくちゃ追い込んでいたから、ベストパフォーマンスを出せました」

─試合終了直前の場面、リーチ マイケルは同点ではなく逆転を狙ってスクラムを選択しました。何度も何度も。

「リーチと同じ気持ち。みんなも『やろう!』と。南アは疲れていたし、ジャパンは勢いがありましたから。勝った瞬間はうれしいよりもショックね。オレたちは新しい歴史をつくったんだ!と」

─いまでも同じ選択をしますか?

「もちろん」

もはや翻訳を待たないラグビー小僧、トンプソン ルークを質問攻めにする。

─命令をスピーディに黙々と忠実に実行するのが日本ラグビーの特徴です。新体制になって何か変わりましたか?

「代表入りしていないので詳しくはわかりませんが、ジェイミーがヘッドコーチになって、個々のスキルやテクニックを生かすスタイルにチャレンジしているようです。クリエイティブにスマートに。逆にエディはプランの実行を強く求めるコーチでしたね」

大事な場面なのだろう、ここは言葉を選びながら慎重に英語で答える。そう、サンウルブズの先に、当然日本代表復帰を見据えているのだ。

─日本代表復帰を待っています。

「桜のジャージを着るとぼくは震え上がるのね。でもぼくの仕事はどこでも変わらない。サンウルブズでもジャパンでも、ハードワークだけね」

インタビューから約1カ月。ルークの日本代表復帰が発表された。Instagramに代表復帰を祝福するメッセージを送ると合宿先から返信があった。

「Hello Akira san. Thanks so much. It’s very exciting but also going to be a lot of hard work.」(アキラさん、ありがとう。大興奮だけど、またうんと頑張らなきゃ。)

熱血ラグビーを愛するラグビー小僧は素直にこう返した。

「Please enjoy Rugby!」

トンプソン ルーク
ラグビー選手

1981年、ニュージーランド出身。農場の息子として生まれ、父はラグビー選手、妹はネットボール選手というスポーツ一家に育ち、13歳で15人制ラグビーをはじめる。2004年に三洋電機ワイルドナイツに入部。2006年に近鉄ライナーズへ移籍し、2010年には日本国籍も取得した。日本代表では2007、2011、2015年とワールドカップに出場している。近鉄ライナーズ所属。

文・神谷 晃@GQ

最終更新:10/3(木) 8:13
GQ JAPAN

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