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「打線の援護があれば500勝も可能だった」/金田正一氏・再録インタビュー

10/8(火) 10:31配信

週刊ベースボールONLINE

「連投なんて屁でもない。完投の疲れは野球で癒す」

――よく20勝を14年も続けましたね。

金田 当たり前じゃないか。それが商売なんだから。20勝から1勝でも欠けたら、給料を落とされる。

――絶対に20勝するという契約だったんですね。

金田 そう、その代わり、20勝したら文句は言うなっていう。いいときはこっちの言い値で年俸も倍々ゲームや。最初にどーんと大きく吹っかけて、「エーッと」って考えさせて、「いいや、真ん中取ろう」で契約や。いつもそういう交渉だったから、揉めたことがない(笑)。

――真ん中を取っても相当なアップだったわけですね。

金田 そう。倍々ゲーム。

――記憶に残っている試合はありますか。

金田 節目のときや。完全試合はよく覚えている。その前に杉下(茂=中日)さんに負けた悔しさ。

――1955年5月10日に杉下さんと投げ合い、杉下さんが1対0のスコアでノーヒットノーランを達成した試合ですね。

金田 そう、それから2年後か(1957年8月21日)。また杉下さんと投げ合って、今度はワシが1対0でノーヒットノーラン(完全試合)。杉下さんとの投げ合いは楽しかった。あと、別所(毅彦=巨人)さんとの投げ合い。何が楽しいって、ピッチングを覚えるわけよ。上杉謙信が武田信玄に塩を送ったように、敵同士でも、いい投手は対戦相手の投手を育てるね。最近の野球にはそういう場面はないわね。しょっちゅうピッチャーが代わるから。

――やはり、杉下さん、別所さんは印象に残りましたか。

金田 別所さんはインサイドにシュートを投げるタイミングが日本で最高の人だった。食い込んでくるシュートは、誰も打てなかった。だから310勝できたんだろうな。

――杉下さんのフォークはどう見ていましたか。

金田 あのフォークは、くるぞ、くるぞ、と思わせながら、なかなか投げてこない。バッターが気にし過ぎちゃうんだな。まあ、フォーク以前に杉下さんは球が速かったよ。計り知れないスピードボールでしたよ。

――対戦した打者で印象に残っているのは。

金田 バッターに対しては、こいつには負けるとか、そんなことは1度も思ったことがない。でも、厄介だったのは阪神の吉田(義男)。規格外の低さだから、ボールがストライクゾーンから上に伸びていっちゃう。あいつがまた、打席でしゃがむんだ(笑)。まあ、1人出したって、次のバッターを抑えればいいんだよ。

――金田さん自身はもともとの才能もあった上で、さらに鍛えたんですよね。

金田 自己管理のたまものだよ。連投なんて屁でもない。投げた後はグラウンドで疲れを取るんだよ。いつ勝ち星が下りてくるかもしれんから(笑)。完投した翌日だって早くから練習して、6回、7回になって勝てそうになったら出ていくんや。それが恒例になちゃって、試合中盤で同点に追い付いたりすると、まず観衆が沸くんだ。

――「金田を出せ」と。

金田 ブルペンはファウルグラウンドにあったから、そこに行くだけでスタンディングオベーションよ。そんなピッチャーおらんやろ。ブルペンで速い球を投げるだけで、試合そっちのけで沸くんだよ。それが快感で、いつも見せていたな。

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最終更新:10/8(火) 10:32
週刊ベースボールONLINE

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