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アラン・ドロン 濃紺スーツに秘めた惑わない心

10/8(火) 18:02配信

NIKKEI STYLE

《ダンディズム おくのほそ道》

 19世紀の英国からフランスへと広がったダンディズムとは、表面的なおしゃれとは異なる、洗練された身だしなみや教養、生活様式へのこだわりを表します。服飾評論家、出石尚三氏が、著名人の奥深いダンディズムについて考察します。

【写真はこちら】ダンディズム おくのほそ道 アラン・ドロンのスーツ

■映画で強烈な印象を残したファッションとは対照的

 1960~70年代の日本でアイドル的な人気を集めた二枚目映画スターといえば、フランスのアラン・ドロンです。それまで「その他大勢の俳優」の一人でしかなかった彼は60年に映画「太陽がいっぱい」に主演し、世界で拍手喝采を浴びました。この作品は映画音楽も流行し、公開当時は街を歩けばどこかから、あの気だるい、退廃を感じさせるメロディーが流れてきたものです。

 アラン・ドロンは主演した作品ごとに、そのファッションでも強烈な印象を残しました。「太陽がいっぱい」では素肌に金のペンダントがまぶしかった。「地下室のメロディー」では革ジャンパーを羽織った姿が印象的で、「サムライ」ではトレンチコートと、さまざまな衣装を着こなしました。

 多くのファンがいた日本では、70年代にたびたびダーバンのコマーシャルに登場しました。スーツやトレンチコートを粋に着こなし、フランス語をつぶやくシリーズが大ヒット。ダンディーなスタイルが板につく外国の俳優として人々の記憶に刻まれました。

 そんなアラン・ドロンが普段、人前に登場するときの服装はというと、いつもスーツでありました。それもほとんど黒に近い濃紺のクラシックなスーツです。たいがい素材は上質なモヘア地。奥深い、上品な光沢があるのが特徴です。その上品さが、アラン・ドロンの「陰り」をうまく包み込んでくれたように思えます。

 63年、64年と立て続けに来日したとき、人気テレビ番組「スター千一夜」と「夢であいましょう」に出演しました。「夢であいましょう」で共演した黒柳徹子はその時の様子をこう語っています。

■映画宣伝で来日した時も地味な紺のスーツ

 「アラン・ドロンさんは、実に地味な紺色のスーツに、細い紺のネクタイで、スタジオに現れた。」(黒柳徹子著「マイ・フレンズ」)

 番組は対談でもお義理の顔出しでもなく、アラン・ドロンが黒柳徹子を口説くという、1つのストーリーを演じる役柄として出演しました。

 「アラン・ドロンさんから見れば、全く見たこともない無名の私たちと、テレビで寸劇(スケッチ)をやるわけだった。それなのに絶対に気を抜かなかった。あれだけの大スターが、ただの一度も、馬鹿にした風な態度も、また、くたびれた様子もなくやる、という事に、私は胸を打たれた。」(同)

 こんな内容の「夢であいましょう」に出演するときまでも、なぜ彼は濃紺のスーツに濃紺のネクタイという服装にこだわり続けていたのでしょうか。

 60年代のはじめ頃、アラン・ドロンは常に、もう1人の有名なフランス俳優、ジャンポール・ベルモンドと比較されました。かたや美男俳優、かたや演技派俳優です。フランス国内での人気は到底、演技派のジャンポール・ベルモンドに及ぶものではありませんでした。

 そこで一時期、アラン・ドロンはフランスを去ってハリウッドに活動拠点を移し、「演技派」としての大成を目指しました。しかし、これも大成功とはいかず、再びフランスへと舞い戻ることになりました。そこで背水の陣で撮った映画が「危険がいっぱい」(64年)でした。当時の来日は、この作品の宣伝のためでもあったのです。何が何でもヒットさせたかったと考えると、日本のテレビ番組での真剣さにも合点がいくでしょう。

 本来、濃紺とは、そのような真剣で惑いのない精神を表現する「真摯な色」として人々に受け止められてきました。ただ静かに自分を見つめ直すときに身にまとう、つつましくも厳かな色なのです。では、なぜ濃紺はそのような精神性を帯びることになったのでしょうか。

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最終更新:10/8(火) 18:10
NIKKEI STYLE

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