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セ本塁打王争いトップを走っていたパリッシュは、なぜ突然帰国したのか?/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】

10/9(水) 11:01配信

週刊ベースボールONLINE

メジャー実績十分の超ビッグネーム

「24時間タタカエマスカ」

 栄養ドリンク『リゲイン』のCMで、そんな現代の働き方改革の真逆をいく熱血ビジネスマンが話題になった30年前。平成元年(1989年)の日本の少年たちはサントリーはちみつレモンを飲みながら、発売したばかりのゲームボーイに夢中になったが、大人たちは「3パーセントの消費税」に揺れていた。4月1日の制度導入以降は1円玉不足が話題になる一方で、川崎市の竹藪から1億円を超える札束が発見されたり、秋には三菱地所が米ニューヨークのロックフェラーセンタービルを約2200億円で買い叩き、12月29日に日経平均株価は史上最高値の3万8957円44銭を記録した。バブル経済はついにピークを迎えたが、空前の好景気に後押しされプロ野球界にも大物大リーガーが続々と来日する。

【プロ野球】時代を彩った名助っ人 写真付き名鑑!

 その象徴が平成元年にヤクルトに入団したラリー・パリッシュだ。当時35歳の右の大砲。メジャー15年で通算256本塁打は来日した助っ人選手の中でフランク・ハワード(太平洋)の382本、レジー・スミス(巨人)の314本に次ぐ歴代3位(89年当時)。ア・リーグ、ナ・リーグの両リーグで30本塁打を放ち、1試合3本塁打を四度、1週間で満塁弾3発のメジャー記録も保持していた超ビッグネームだ。身長190センチ、99キロの巨体で、ワニの肉を食べると発言したことからニックネームは「ワニ男」。左ヒザには特注のニーブレースを着用し、85年のホームクロスプレーをきっかけに痛めたヒザの三度の手術歴があるため、年俸は65万ドル(約9100万円)プラス出来高という、圧倒的な実績のわりにはNPBの適正価格での契約だった。

 その注目度はもちろん高く、開幕戦で平成第1号アーチを含む2本塁打を放った巨人の原辰徳が表紙を飾る『週刊ベースボール』89年4月24日号では、新怪物パリッシュの直撃インタビューを掲載。ヤクルト入団の理由を聞かれると、「提示金額も高かったしネ」なんて笑い、エクスポズ時代にチームメートだったクロマティやガリクソンといった巨人勢の外国人に対しては、「まさか、また同じ日本で、同じリーグでプレーするなんて夢にも思わなかったよ」と語る。特にクロウとは大学時代からの顔見知りで、プロ入り後も彼の車をパリッシュが運転して出掛けることもあったという。

 それにしても、やはりというべきか、野球人生一発逆転のチャンスを求めて遠く日本までやってきた30歳前後のハングリーな選手と違って、パリッシュのインタビューの受け答えにはどこか余裕を感じさせる。さすがフロリダで競馬用のサラブレッドを5頭も所有している元大物大リーガーだけある。「オレは日本でロデオを普及させたいな。クルマを作ることにかけては世界一なんだから、ロデオでも世界一のカウボーイを作れるはずだよ」なんつってなんだかよく分からないアメリカンジョークを挟みつつ、来日1年目の目標を聞かれると、「メジャーと試合数が違うので数字をあげることは難しいね」と前置きしつつ、冷静にこう答えている。

「ナショナル・リーグより、追い込んだら変化球で勝負する傾向があるアメリカン・リーグ出身の選手の方が日本野球に適応が早いと思う。私はクリーンアップとして、走者をかえすことで給料をもらっているんだ。まあ、25本塁打、80打点以下であったら、納得いかないね」

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最終更新:10/9(水) 11:27
週刊ベースボールONLINE

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