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夭折した「フィギュアの俊英」デニス・テンはなぜ愛されたのか

10/10(木) 8:00配信

クーリエ・ジャポン

2018年7月、将来を嘱望されていたカザフスタンのフィギュアスケート選手デニス・テンが、強盗事件に巻き込まれて25歳の若さで亡くなった。すばらしい才能と豊かな表現力、そして誰からも愛される人柄で、死後も彼に対する評価は高まる一方だ。

2019年7月には一周忌を記念して故郷アルマトイで追悼アイスショーが開催された。現地を訪れた筆者が、デニスのゆかりの地をたどり、昔から親交のある日本人女性に若き天才の人となりや心温まる交流について取材した。

デニスのゆかりの地をめぐる旅へ

2018年7月19日、フィギュアスケート界に衝撃が走った。

ソチ五輪の銅メダリスト、デニス・テンが日中に強盗に襲われ、帰らぬ人となったのだ。その1ヵ月前に25歳になったばかりの英雄の、早すぎる死。

カザフスタンに生まれたデニス・テンは、祖国にフィギュアスケートで史上初となる五輪銅メダルや、世界選手権のメダルを2度もたらし、未来のスケーターたちの育成にも力を注いだ。

デニスのファンであるマキさん(仮名)は、亡くなった後に日本のカザフスタン大使館に設けられた献花台に花を手向けに行ったとき、あまりの人の多さに驚いた。大使館によると4日間で約3000人が訪れたという。ファンからのメッセージやフォトフレームは、カザフスタンの家族のもとに届けられた。

カザフスタンでもデニスは「英雄」と称され、国内で彼を知らない人はいないと言っていい。

筆者は、2019年7月にカザフスタンでおこなわれたデニス・テンの追悼アイスショー「デニスズ・フレンズ・ショー」を観るためにアルマトイ・カザフスタンまで足を運んだ。

デニスはシルクロードをテーマにしたプログラムを演じたり、若手スケーターの育成に力を入れたりと祖国カザフスタンに深い愛情を注いでいた。彼の愛した故郷をひと目見てみたかった。

デニスが生まれ育った南東部の都市アルマトイは、整然とした街のなかにポップな色の椅子やオブジェが飾られ、洗練された印象を受けた。芸術の才能にあふれ、映画の脚本を書いたり、作曲をしたりしていたデニスはこの街を歩きながら、どんなことを頭に思い描いたのだろう。

彼の母校カザフ・ブリティッシュ工科大学は、美しい並木道が印象的だった。大学からはデニスが住んでいたというマンションが見える。
「デニスは(在学当時から)有名だったから夜に授業を受けに来ていたんだよ」

そう言いながら案内してくれた大学関係者は、デニスの話をするときには少し悲し気だったが、誇らしそうでもあった。

その後、生家やデニスが生前に経営に関わっていたファストフード店「Chick&Go」(店の業態は現在は変わっている)、葬儀がおこなわれたパラワンショラック・スポーツセンターに足を運び、殺害現場を訪れた。
いまでもデニスの写真の周囲はファンからの手紙、花、そしてキャンドルで埋め尽くされている。残された人びとの悲しみと怒りが渦巻いているようで、胸が痛くなった。
筆者も日本から持参した手紙を結んだ。彼のモニュメントの前では涙が出そうになったし、実際泣いている人もいた。みんな彼を忘れられないのだ。

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最終更新:10/12(土) 5:54
クーリエ・ジャポン

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