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山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.3「1990年、初めてレーシングスリックに携わる!」

10/10(木) 17:33配信

WEBヤングマシン

バイクやライディングスタイルでタイヤの評価は大きく変わる

ブリヂストンがMotoGPでタイヤサプライヤーだった時代に、その総責任者として活躍。関係者だけでなく一般のファンにも広く知られた山田宏さんに、かつてのタイヤ開発やレース業界にまつわる話を、毎回たっぷり語ってもらいます。今回は、それまで公道用タイヤの試験を担当していた山田さんが、ロードレースの分野に踏み込んだ1990年の話。

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TEXT: Toru TAMIYA

「チャンピオンを獲ったタイヤなのだから、悪いはずは……」

1990年に、ブリヂストンが全日本ロードレース選手権のサポートを強化したことを受けて、私は新たにレース用タイヤの設計に携わるようになりました。活動の中心となったのはGP250。私はそれ以前にも、溝付きのいわゆるSPタイヤを担当したことはあったのですが、スリックタイヤはこのときが初めてでした。当時の業務内容としては、技術者としてレーシングライダーのコメントを聞いて理解し、それをもとにタイヤ評価をして、次につくるタイヤの仕様を決めるというのがメイン。その仕様に基づいて、開発チームが新たなタイヤを製造していました。その頃は、ライダーのフィーリングを聞いて「この部分の剛性が不足しているな」とか、「コンパウンドが柔らかすぎだな」とか、感性に頼った部分が多かったです。

1990年の全日本GP250は、前年にホンダ・サテライトチームのキャビンレーシングでシリーズタイトルを獲得した岡田忠之選手がTEAM HRCに入って、青木宣篤選手がカップヌードル-ホンダで参戦し、田口益充選手や宇田川勉選手がエンデュランス・レーシングチームにいて、彼らがホンダのNSR250に乗っていました。そこにヤマハからリクエストが来て、TZ250の難波恭司選手も加わり、この5名を中心にサポートすることになりました。

ところが当初、難波選手からは「こんなタイヤでは速く走れません」と……。それを聞いたうちの設計者たちは、チャンピオンを獲ったタイヤなのだから悪いはずはないと考えていましたが、私は難波選手のコメントを聞いていて、このタイヤはヤマハのTZ250に合わないということに気づきました。岡田選手のNSR250はパワーがあるため、コーナーを小回りしてマシンをすぐに起こし、加速重視で乗るのがセオリー。当時のキャンバー角が何度くらいだったかは忘れましたが、例えば最大50度だとしたら、40度のときに接地面積が大きくてトラクションが稼げるタイヤで、50度になると接地面積が極端に減るタイヤだったわけです。

ところがTZ250は、コーナリング速度で勝負する乗り方が必要。つまり50度(あくまでも仮の数字です)での接地面を大きくし、横力を出してスピードが稼げないと、速く走れないわけです。全キャンバー域で接地面積を大きくするのは難しいので、岡田選手は最大キャンバー角での横力を犠牲にしても、少し起きたところでのトラクションを重視したタイヤ形状を好んだのです。もちろんその後、難波選手の要望に対応したニュータイヤを投入していきましたが、バイクやライディングスタイルによってもタイヤの評価は大きく変わるものだということを、あのときに実感しました。公道用タイヤの試験をやっているときにもこういう経験はしてきましたが、レースほど顕著に結果が表れることはありませんでした。

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最終更新:10/10(木) 19:17
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