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環境になったソーシャルメディアが変えた、子どもから大人への〈境目〉:映画『エイス・グレード』池田純一レヴュー

10/10(木) 12:44配信

WIRED.jp

YouTubeへの動画投稿から一躍コメディアンとしてスターダムを駆け上った、1990年生まれのボー・バーナム。彼が初の脚本・監督を務めた映画『エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ』が9月20日に公開された。ソーシャルメディア時代に生きる13歳の少女の中学卒業までの1週間を描いた本作で、バーナムは現代社会をいかに「風刺」しているのだろうか。デザインシンカーの池田純一によるレヴュー。

“Be yourself”という呪いの言葉とは?

単純な主題と複雑な舞台

『エイス・グレード』は、ボー・バーナムの初監督作品だ。

今、巷で『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が話題になっているからというわけではないけれど、もしかしたらタランティーノの初監督作品『レザボア・ドッグス』のように、その監督の原点として、後になって、なんども振り返られるものとなるのかもしれない。最初の作品に、その創り手のすべてがすでに詰まっている、という意味でだ。そんな先物買いを思わず訴えたくなる魅力を『エイス・グレード』はたたえている。

と、大きく出てはみたものの、実のところ、本作を見終わった後の第一印象は、なんというか、モニョモニョとしたむず痒いものだった。理解できたようで、なにか大きなことを見逃してしまったのではないか? そんなスッキリしない感じがつきまとっていた。

一見、単純そうだが、実は複雑で、奥の深い映画なのでは?

「単純そう」というのは、物語の主題自体は、13歳の「エイス・グレーダー(8年生)」の女の子ケイラが、あれこれ悩みつつ、周りの人たちとのやり取りを通じて、なんとかミドルスクールを卒業し、ハイスクールへの進級を果たす、という、よくあるティーンもののプロットをなぞったものであることだ。

一方、「複雑な」というのは、その舞台がソーシャメディア時代の現代社会であることであり、そこではアナログ時代の道理は通用しない。定番はことごとく覆されてしまう。

極めつけは、本作の創作者、すなわち脚本を書き監督をしたのが、1990年生まれのスタンダップ・コメディアンのボー・バーナムであること。アメリカにおけるコメディアンとは、単なるお笑い芸人ではなく、笑いの底に社会風刺を潜ませる警世家でもある。となると、本作も、単なる少女の青春の始まりを描いたもの、と素朴に捉えることはできなくなる。

この映画は、アメリカで昨年(2018年)7月に一般公開されたのだが、その半年前の1月にサンダンス・フィルム・フェスティバルでプレミア上映されており、その時点ですでに「あのボー・バーナムの初監督作品」という驚きも上乗せされ、高い評価を得ていた。

今年29歳のバーナムは、彼自身、16歳であった2006年に、まだ誕生して間もないYouTubeにコミックソング──ここでいう「コミック」とは「コメディ的な」という意味──をアップして、瞬く間に有名になり、そのままプロのコメディアンになった「レジェンド(伝説の人物)」だ。だからこの映画は、「インターネットの寵児」であった彼が、自分を見出してくれたインターネットに対して風刺的な視線を向けて創造したものとなる。勢い、自伝的要素も込められているのではないかと勘ぐってしまいたくなる。

つまり、この映画については、いわゆるティーン映画の一作としてどう観るか、というジャンル映画的見方だけでなく、その世界の創造主たるボー・バーナムがこの映画になにを託したのか、という製作意図にまで踏み込まないといけない。作品の内側からの視点と、外側からの視点の、両睨みの解釈が必要なのだ。

この映画のレビューの多くは、スマフォの登場でデジタルが空気のように遍在してしまった現代社会における、今どきの子どもたちの青春がリアルに描かれている、といった感じのものにおおむね集中している。だが、そのような見方では、物語の顛末しか見ていない表面的なものに思えてしまう。コメディアンであるバーナムの狙いは、もっと奥深い。もっと多面的で多層的だ。

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最終更新:10/10(木) 12:44
WIRED.jp

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