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藤津亮太が語る、2010年代のアニメ評論「回答を作品の中に探していく」

10/10(木) 8:10配信

リアルサウンド

 「アニメを言葉でつかまえる」。

 アニメ評論家の藤津亮太氏はそんな命題に挑み続けている。2010年代のその実践をまとめた『ぼくらがアニメを見る理由ーー2010年代アニメ時評』が8月24日に刊行されて以来、好評だ。発売2週間で重版が決定、今年の話題作『天気の子』や『プロメア』『海獣の子供』などもさっそく収録されており、『魔法少女まどかマギカ』などの2010年代初期の話題作から、海外アニメーションについてまで網羅的に語り尽くしている。国際的にも注目される日本のアニメだが、アニメを主戦場にした評論家は実写映画に比べて圧倒的に少ない。長年一貫した姿勢でアニメを批評し続けてきた氏の言葉の集積は、現代の日本アニメを理解する上でのヒントに満ちている。

 そんな藤津氏に改めてアニメを評論することの難しさや楽しさ、自身の評論のスタイルについて話を聞いた。

■アニメが心を震わせる秘密を書くのが仕事

――本書のタイトルは『ぼくらがアニメを見る理由』となっていますけど、このタイトルの由来は何でしょうか。

藤津:これは以前からアニメコラムのタイトル案でよく提案していたものです。もうバレバレで、いろんな人から指摘されていますが(笑)、小沢健二の『ぼくらが旅に出る理由』から取っています。自分の書いている原稿に合ったフレーズだなと思っています。ざっくり言うと、みんなアニメを観るのは心を震わせたいからでしょうし、その心を震わせてくれる秘密を書くのが僕の仕事ですから。

――シンプルな感想ですが、最初に本書を手にした時、すごく分厚いなと思いました。それに取り上げられている作品数もすごく多いですね。

藤津:今回の本には「アニメの門」という連載で書いた原稿が多く収録されているんですけど、この連載も7年続いています。その長い連載期間で取り上げた原稿から6割、さらに『ユリイカ』などで書いた長い原稿を加えたら、結果として24万字の大ボリュームになりました。最初に僕が提示したものは30万字くらいあったんですけど、いろいろ調整して、常識ギリギリの範囲に収まったのかなと思います。

――藤津さんが連載で作品を取り上げる基準はあるのでしょうか。

藤津:注目作であることと、自分が観た時にこれは書くべきだなと思えるポイントがあるかどうかですね。その2点が重なるものを取り上げるのが基本です。あと、作品を観るのが遅かったりすると、世間の作品に対する疑問の様子を観て、これは書いた方がいいなと思って書く場合もあります。あと、海外アニメーションなど、日本のアニメファンの中でまだまだ主流ではないものの中から、素晴らしい作品なので興味を持ってもらおうと思って取り上げているものがあります。

――今回の本でも海外アニメーションに一つ章を割いていますね。

藤津:時評の連載を続けていたら、海外作品についての原稿も結構数があったんです。

――海外アニメーション作品について書く時は、何か意識することはありますか。

藤津:強いて言うなら日本にこういうアニメがないのはなぜだろうと思いながら書いています。例えば、『パラノーマン ブライス・ホローの謎』なんか、娯楽性も高くてメッセージ性もすごくしっかりしていますけど、ここまで直球で考えさせられる作品は日本には少ないですよね。それはなぜだろうと思うということは考えます。逆にいうと、日本にないからこそ、観てほしいとも思いますが。

――日本のアニメに欠けたものを海外作品に見出しているということですか。

藤津:そういう感じともちょっと違いますね。海外のいくつかの作品は、根っこにあるものは同じものなのでしょうけど、それぞれ違うものに進化したという印象があるんです。その中でも、たまに流れが近づいた作品が現れることがあって、そういう重なりそうで重ならない微妙な距離の作品を取り上げているというイメージです。

■作家でアニメを語らない理由

――藤津さんは、最初の単著『アニメ評論家宣言』の頃から、一貫して作家で作品を語らないというスタンスを貫いておられます。その姿勢はこの本でも同様ですが、一方、作家でまとめた章も設けられていますね。

藤津:それはまず、本の構成についてメリハリがあったほうがいいと編集さんと話したということがあります。また、もとの原稿の発注を受けた段階で「この監督について執筆してください」と依頼されるケースもあるからです。幸いにして、今回の本で名前をあげてまとめた方々は、インタビュー記事なども多いですし、どの程度制作の細部まで関与しているのか把握しやすく、どんな考えで作品に臨んだのかも語っておられます。それならば、個人名を上げて書いてもいいかなという感じですね。

――『アニメ評論家宣言』と今回の本ではともに作家でまとめた章がありますが、そこに登場する顔ぶれがだいぶ変わりましたね。本書では新海誠監督、山田尚子監督、片渕須直監督、細田守監督を取り上げています。宮崎駿監督と高畑勲監督は両書ともに入っています。

藤津:『アニメ評論家宣言』の時はスタジオ・ジブリの絵コンテ本のために書いた原稿が手元に多かったので、宮崎監督と高畑監督の原稿が多いんです。そこに押井守監督と富野由悠季監督を加えました。あの本は年代で区切っていないので、大御所の方たちを取り上げましたが、今回は2010年代のアニメ時評ですからそのときに話題に上った人が中心になっています。

――しかし、このような作家論のようなものは藤津さんのお仕事の本流ではないわけですね。

藤津:そうですね。名前を挙げずに作品の話ができるのであれば、その方がいいと思っています。

――本来、アニメは集団作業ですから、それぞれの細部や描写が誰のアイデアなのかはわからないことが多いですよね。これは本来、実写映画も同じはずで、現場の話を聞けば、見事なカメラの構図が撮影監督のアイデアだったり、芝居のアイデアも役者のものだったりすることは多々ありますけど、実写映画の場合はそれでも作家主義的に作品を語ることがすごく多いのですが、アニメの場合はやはりそうすべきではないとお考えですか。

藤津:単純にわからないことは書けないし、書くべきじゃないと思っているんです。以前、映画のプレス用の原稿の依頼があり、スタッフ個人のクリエイティブを際立たせるために、作品の特徴のひとつを「これは脚本家のアイデアなのではないか」と書いたことがありました。そうしたら、それは実は監督が直したものだったんです。その時、やっぱり印象で書いてしまってはいけないと思ったんです。あと、そもそも作品を観ている時は、作家の名前で作品を観ているわけじゃないですよね。さらにいえば、監督自身も自分の描きたいものをやるためにやっているとは限らない、ファンの求めるものを届けたくてやっているという人もいらっしゃるわけで、すべてを作家の名前に還元するのは難しいなと。もちろん、細かく観察すればそれぞれの監督の個性はあります。でも、そればかり観ていると監督の指紋の痕だけを探すような文章になってしまうと思うんです。僕はライターとして監督に取材することもあるので、疑問があればそこで聞けばいいと思っていて、逆に作品を観る時はできる限りそことはちょっと切り離して純粋に作品と向き合うようにしています。

――藤津さんのその姿勢の真摯さは、細田守監督の作品についての原稿を読むとよくわかる気がします。近年の細田作品についての言説の多くは、作品そのものよりも監督自身のパーソナリティに寄りすぎているのではと思っています。

藤津:そうですね。しかもそれってご本人がインタビューなどで言及した範囲のパーソナリティですよね。

――藤津さんの原稿にはそういう要素が一切ないんです。まっすぐに作品だけを観ている感じがします。

藤津:細田監督の作品に限らず、作品を見て「わからない」と感じる部分はしばしばあるんです。そういう時は、「なぜ僕はこういう印象を持ったのか」を正面から考えて書くようにしています。自分が「わからない」と感じたことにも根拠があるはずですから。

――細田監督についてもそうですが、2010年代にはSNSが社会に普及して、いろんな声が聞こえてくるようになって作品そのものと向き合うことを難しくしている面もある気がします。そういう世間の声に引っ張られそうになることはないのでしょうか。

藤津:引っ張られるということはありませんが、さっきお話したように世間の人々が抱いている疑問から何を書いたらいいいかのヒントをもらうことはあります。例えば、『君の名は。』は、彗星の事件で多くの人が亡くなったことをなかったことにしていいのか、とたくさん言われましたよね。でも、そのことを新海誠監督が疑問に思わなかったのかということをまず考えるべきだと思うんです。疑問に思ったのなら、作品の中に必ず回答はあるはずだと思って作品を観るようにしています。我々はたった2時間で映画を観てしまいますが、作り手は企画からだいたい3年間かけているわけです。多くの場合、こちらが引っかかった部分は作っている方も気づいているはずだと思って作品と接した方がいいと思います。そうやって、世間の疑問に対する回答を作品の中に探していくということはあります。

■辛口記事は絶賛記事よりも大変

――藤津さんの評論のもう一つの大きな方針に、辛口批評はしないというのがあります。

藤津:辛口批評の魅力もわかるります。読んで頷くことも多いです。でも、僕がやらない一番の理由は、ネガティブな評価は誤読が許されないからです。でも一度観ただけの人間が、3年かけて出来上がった作品を作ってきた人に対して誤読しないのかと言われたら、僕はちょっと自信がないし、怖いなと思うんです。だから、もしわからない部分があれば、なぜわからなかったのかを書くようにしています。そうやって作品の細部を改めて観ていけば、良し悪しは別にして、この作品はこういう狙いなんじゃないか、ということは書けると思うんですよね。

――僕も批判記事はあまり書きませんが、書くとしたら絶賛記事の5倍くらい労力をかけなきゃいけないだろうと思っています。

藤津:そうなんですよ。まずしっかり裏を取らないといけませんから。もちろん作中で描かれたことが倫理的に間違っていると書くのはシンプルですけど、いろんな可能性を想定していくと、作品として出来が悪いことをロジカルに書くのは実はすごく難しい。それと、最初に観た時に面白くないと思っても、後から自分の中で評価が変わる体験をしているというのもあります。僕は『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』を公開当時観た時、実はガッカリしたんです。でも、この仕事を始めた初期の頃に『逆襲のシャア』について自由に書いて良いと言われて、その時にLDで10回続けて見直してみたら、改めて発見したことがあって、それで評価が変わったんです。そういう体験をしているので、公開当時に第一印象で成績表つけて、その点数を絶対評価のようにずっと言い続けていくのも空しいと思うんです。それに、一つの価値観・基準を強く打ち出してしまうことで、他の視点を殺すこともあるかもしれない。というようないくつかの理由で、辛口批評は避けています。

■アニメを言葉でつかまえる難しさ

――本書の「はじめに」でも「アニメを言葉でつかまえてみたい」と書かれています。しかし、例えば、『海獣の子供』のような作品を言葉でつかまえるのは極めて困難だと思うのですが、ああいうタイプの作品について書く時は何か気を配ることはありますか。

藤津:あの映画の中で何が起きているのかの謎解きが一番大事じゃないと思うんです。作り手は、あれが謎であってもいいと思ってやっているわけでしょうから、『海獣の子供』については「クライマックスがわからなくてもいい」という作りになっているのはなぜかと考えればいいと思います。もちろん、きっとあの映画も1コマずつ観れば全ての意味を解読できると思うんですが、映画館で限られた回数見ただけでは、それはできませんよね。じゃあ、わからないものをあんなに時間をかけて描いたのはなぜなのかについて書くという感じでしょうか。作品にもわかった方がいい謎と、わからなくてもいい謎があると思います。

――藤津さんは、アニメについての原稿で実写映画や小説、詩などアニメ作品以外の引用もたくさんしますよね。これは意識してそうしているのですか。

藤津:こういうタイプの原稿を書こうと思ったのは、高校時代に『キネマ旬報』を読んでいた体験がベースにあります。そこでも読み物っぽい原稿が好きでした。「キネ旬」の読者投稿に投稿していたこともあります。全然ダメでしたが(笑)。それと、引用する場合は、できるだけもとの作品から遠いところから探してきて、そこに共通点を見いだせれば、伝えたいことの普遍性が増すと思ってやっています。

――僕が藤津さんの原稿で一番好きなのは、『アニメ評論家宣言』所収の『∀ガンダム(ターンエーガンダム)』についてのもので、映画監督のロン・ハワードについてかなり文字数を割いているんですよね。まさか『∀ガンダム』について語るためにロン・ハワードを出してくるとは思ってなかったんですけど、これが意外なほど納得感がありました。

藤津:『はるかなる大地へ』と『∀ガンダム』を並べた原稿ですね。あの原稿は僕も好きです(笑)。特に2000年代の頃は、できるだけ突飛な、あまり人が書いていないような原稿を書いてやろうって思っていたので。でも、そういう引用が、単なるギミックではなく、作品の芯に届く形で書けていると思います。

――藤津さんがアニメ評論の仕事を始められた時と現代では、アニメを取り巻く社会の状況もメディア環境もかなり変わったと思います。そういう意味でアニメ評論の仕事の難しさに変化はありましたか。

藤津:基本的な難しさは変わらないです。今はいろんな媒体があり、いろんな人がアニメについての記事を読むようになって、環境的にはむしろやりやすくなってきていると思います。

――さきほどの話と若干重複しますが、いろんな人がいろんなことを言える時代になり、ノイズが増えてやりにくくなったりもしていませんか。

藤津:意見がいっぱいあるのはいいことです。僕はそれがそもそも少ない時から時評の連載をやっているので、そこは比較的肯定的です。それよりもアニメ評論の難しさは、作品のコアをどう見つけるかということにありますから。すぐに思いつく時もあれば、そうでない時もあるので、周囲の意見の多寡に関わらずそこは相変わらず大変、という感じです。

――映像を言葉で捕まえる作業はそもそも難しいことですが、僕自身完璧にできたなという実感はいつもないのですけど、藤津さんはどうですか。

藤津:僕もそこは上手くできたなって実感はいつもなくて、「とりあえず読みにくくない程度には書けたかな」くらいですね。ただ、言葉にすることで漠然としていたものを他者と共有できるようになったり、別の作品を観る時に、その時考えたことが役に立つ時が必ずあるんです。評論家じゃなくても、一般のファンにとってもそれは同じことだと思いますし、言葉にしておいた方がいいことがたくさんあるので、頑張るかという感じですね(笑)。まあ、満足に書けた時に地味な達成感はもちろん感じてはいますけれど。

――小さい山を登りきったな、くらいの満足感ですかね。

藤津:そうですね。こういう取材で何のアニメが好きかと聞かれることも多いんですが、僕は特定のアニメが好きである以前に、アニメという山の形を知りたくてこの仕事を続けているので、こうしてずっと続けてこられたのは本当にありがたいことです。これからもできる限り時評を書き続けられればと思っています。

杉本穂高

最終更新:10/10(木) 8:10
リアルサウンド

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