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近藤和彦、近藤昭仁、桑田武、松原誠、江尻亮、中塚政幸、長崎啓二、高木由一、山下大輔&田代富雄「川崎から横浜へ。大洋の個性あふれる好打者の系譜」/プロ野球20世紀の男たち

10/12(土) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。

桑田武「もしプロに入ったら狙おうと思っていたんです」

日本一イヤーのダブル近藤&桑田

 大洋が初優勝、日本一を達成した1960年。それまでAクラスは皆無だったチームが日本一にまで駆け上がっていった経緯は、秋山登と土井淳のバッテリーを紹介した際に触れた。前年は最下位だったチームが優勝したのはプロ野球で初の快挙だったが、チーム打率はリーグ3位、本塁打はリーグ最下位と、打線が活発だったとは言い難い。

 そんな打線にあって、巨人の長嶋茂雄と首位打者を争い、リーグ2位の打率.316をマークしたのが近藤和彦であり、ルーキーながらリードオフマンとして打線を引っ張ったのが近藤昭仁、そして主砲としてチームの1/4以上を超える本塁打を放ったのが桑田武だった。

 58年から1年ごとに近藤和、桑田、近藤昭が次々に入団。いずれも1年目から即戦力となった。近藤和は1年目のキャンプで青田昇から「それじゃプロの球は打てん。フォームを工夫してみろ」と言われて試行錯誤。オーソドックスなフォームの左打者だったが、たどりついたのが“天秤棒打法”だった。

 グリップが太く、グリップエンドもふくらんでいる独特なバットを相棒に、いったんバットを空中に浮遊させるように寝かせたまま高々と掲げ、くるくる回してリズムを作る。そこから左手をスライドさせていき、初めて右手がバットに触れたところから、すさまじいスピードのレベルスイングで振り抜いた。

 桑田は1年目の開幕から四番に座って新人の新記録となる31本塁打で本塁打王に。防御率1.19で最優秀防御率となった阪神の村山実に大差をつけて新人王に輝いた。60年は故障で離脱した時期もあって16本塁打にとどまったが、打率は3割を突破。1年目から優勝を経験した近藤昭は大毎との日本シリーズ全4試合で3安打のみだったが、第3戦(後楽園)の決勝弾、第4戦(後楽園)では両チーム唯一の得点となる決勝打で日本一に貢献した。

 近藤和は60年からの3年連続を含む4度の打率リーグ2位。桑田は61年に94打点で打点王となり、長嶋の三冠王を阻止した。小兵の近藤昭は国鉄、巨人で通算400勝を積み上げた左腕の金田正一を得意として、先に金田が現役を引退したことで「おかげで打率を2分くらい損しましたよ」と冗談を言ったら、さすがに「何を言うか!」と怒られたとか。

 桑田は69年に巨人へ移籍し、70年にヤクルトで引退。近藤和も73年に近鉄へ移籍して、オフに引退した。近藤昭はコーチ兼任となった74年は出場なく、そのまま現役を引退。そのとき、すでに大洋には、個性あふれる後継者たちが並んでいた。

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最終更新:10/12(土) 11:05
週刊ベースボールONLINE

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