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A.T.カーニー梅澤高明氏 東大で挫折、ギタリストの夢

10/12(土) 17:12配信

NIKKEI STYLE

筑波大付属駒場中学・高校、東京大学法学部、米マサチューセッツ工科大学(MIT)スローン経営大学院で学び、クールジャパン戦略の仕掛け人、メディアで活躍する論客としても知られるA.T.カーニー日本法人会長の梅澤高明さん(57)には苦い挫折体験がある。
実は東大5年生まで本気でプロになることを目指してバンド活動に没頭していたのだ。「このままでは食えそうもない……」。現実の壁を悟り、自らの夢をスッパリと断ち切らせたのは、身近で活動していたギタリストの布袋寅泰さんやバンド「レベッカ」の大ブレークだった。
やがて日産自動車に入社するとマーケティングに目覚めて一念発起。MITでMBAを取得後、米コンサルティング大手のA.T.カーニーに移籍し、多国籍の環境下で頭角を現してゆく。「ビジョンがない道草だらけの人生だった」と回想する梅澤さん。単独インタビューを前半、後半に分けてお届けする。

■鉄道・宇宙・遊び全般……、好奇心旺盛なオタク少年

――どんな家庭環境で育ったんですか。
「都市銀行に勤務していた父と専業主婦の母の間に生まれた一人っ子です。活発でいたずら好き。とにかく口数が多くて、小学校の成績表には『私語が多い』と6年間書かれていたくらい。漫画やテレビはそれほど見ませんでしたが、オタク体質で鉄道や宇宙に凝り、どんな遊びもマスターしないと気が済まないタイプでした。近所では僕が一番年下だったので、いつも上級生を相手にチャレンジしている。面白そうなことがあれば『交ぜて、交ぜて』と積極的に輪の中に入ってゆく。そんな好奇心旺盛なところは今も変わっていません」

■小5の全国模試でショック、日進で猛勉強して筑駒・武蔵に合格

――筑駒、東大とエリート街道を進みますが、受験で苦労したことはありますか。
「学校の成績は良かったんですが、小5の終わりに初めて受けた全国模試でボロボロの結果を取り、ショックを受けました。『全国には猛者が大勢いるんだ』と悟ったんです。以来、有名塾の日進に入り、猛然と勉強を始めます。模試を毎週のように受け、問題集を解いているうちに、成績が自然に上がってゆきました。中学受験がだめなら地元の公立中学に行くつもりでしたが、筑駒と武蔵を受けて両方に合格。筑駒に進みます」

――筑駒ではどんな生徒でしたか。
「筑駒の校風は自由。カリキュラムが特別ではなく、生徒が各自で努力する学校でした。『平岡塾』など中高一貫の有名校の生徒が通う特別な塾があり、多くの生徒がそこで授業を先取りしながら勉強を進めてゆく。僕もそんなレールに乗っていたと思います。中学では平均的な生徒でしたが、高校になるとマージャンやロックに目覚めて一気にはじけます。授業をさぼり、駒場のジャン荘に友人と入り浸ったり、渋谷や青山のロック喫茶に独りで通ったり。学友とバンドを組み、ギターを弾くことにも熱中しました」
■運命の「キッス」との出会い、中3でギター小僧に
――もともとクラシック音楽や歌謡曲が好きだったそうですが。
「小学校の間は自分から言い出してピアノを習っていました。歌謡曲が好きで、その年のヒット曲の譜面を毎年買い、ピアノで練習したりしていた。中学に入ると父親が買ってくれたレコードプレーヤーでクラシックを聞くようになります。ブラームス、ブルックナー、マーラー、シベリウスあたりは今でも大好きです。受験勉強を普通にやっていれば筑駒から東大に合格できると思っていたので、将来は東大のオーケストラに入り、バイオリンを弾くつもりでいました」
「ところが中3で運命を変える出来事が起きます。クラスの席替えでたまたま隣に座ったのがロック好きの風変わりなヤツで、話しているうちに互いの好きなレコードを交換してみようということになった。それで僕がベートーベン、彼がロックバンドの『キッス』を持ってきたんです。その瞬間、僕は『キッス』に完全にやられました。『これ格好いいじゃん』と目覚めてしまった。本当は翌週、バイオリンを買う予定だったのに、彼に神田の楽器屋に連れて行かれてエレキギターとアンプを買うことになります」

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最終更新:10/13(日) 7:47
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