ここから本文です

横浜銀蝿、結成40周年に完全復活! 嵐、翔、Johnny、TAKU「ツッパリの友情、40年の物語」

10/16(水) 6:30配信

週プレNEWS

バブル前夜の1980年代前半に、なぜか日本を席巻した不良とツッパリの大ブーム。そのど真ん中に立っていたのが横浜銀蝿(よこはまぎんばえ)だった。『ツッパリHigh School Rockn' Roll』をはじめとする、強面4人が奏でるロックンロールは大人も子供も口ずさみ、公約だった「シングル1位、アルバム1位、武道館満タン」を達成するや、3年3ヵ月であっさり解散。

【写真】2019年の横浜銀蝿メンバー

それから4人はさまざまな人生を送り、このたび37年ぶりの完全復活を果たす。2019年、アラ還となった4人のツッパリ精神とは? 当時のブームを知らない世代こそ読んでほしい、人生の筋を通した不良たちの物語!

■「不良」がマジョリティだった時代
横浜銀蝿は1980年の日本に突如現れた、リーゼント、サングラス、黒の革ジャン、白いドカンという暴走族スタイルの4人組ロックンロールバンドだ。見かけと裏腹にその音楽性は親しみやすく、『ツッパリHigh School Rockn' Roll』などの大ヒット曲を連発。ツッパリブームを牽引(けんいん)した。しかし3年3ヵ月を爆走で駆け抜け、花火のように解散。

そして2020年――。結成40周年を機に彼らが完全復活する。解散から37年バンドを離れていたリードギター、Johnnyの合流も決まった。バブル前夜の日本を席巻した横浜銀蝿現象とは? 4人のツッパリはその後どんな人生をたどり、なぜ今、再結成するのか。4人を直撃した。

* * *

――80年9月、横浜銀蝿を初めて取り上げた雑誌が週刊プレイボーイでした。当時の皆さんはツッパリ!不良!の代名詞でしたが、今の読者には当時の不良というのがどんな感じかイメージしにくいと思いまして。皆さんはどういう不良だったんですか?

Johnny(以下J) 当時のツッパリや暴走族って、今の半グレとはまったく違ったんですよ。デビュー前にテレビ番組で、嵐らんさんが局の人から暴走族の仲間を集めてって頼まれて「横浜新道の料金所に集合!」って声かけたら、第3京浜が環八にぶつかる所まで、暴走族の単車と車が何万台も集まったことがあったんですが、それくらい当時は不良ってマジョリティでしたよね。

翔 あと、不良はみんなスポーツやってた。喧嘩(けんか)するために部活で体鍛えていて、サッカー部のやつは喧嘩でヘディング技を生かしたりさ。仲間がいるから学校行くの大好きで、喧嘩大好きで、他校が攻めてきたら戦わなきゃなんない。

ただ、喧嘩に節度はあったよね。相手に戦意がなくなったと思ったらやめるし、次に会ったら仲直り。それで新しい仲間や地域が広がっていったんだよね。

1/7ページ

最終更新:10/16(水) 6:30
週プレNEWS

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事