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多摩川氾濫はやはり「人災」だ、忘れられた明治・大正・昭和の教訓

10/17(木) 6:01配信

ダイヤモンド・オンライン

 台風19号で氾濫した多摩川。二子玉川周辺では「こんなことは初めて」というコメントが多く出ているが、歴史を遡れば一度どころか、何度も何度も多摩川は氾濫していることがわかる。人間は大きな自然災害に見舞われても、何十年かすればすぐに忘れる生き物。来ることは「確実」と言われている首都直下型地震や南海トラフ地震についても、今一度、歴史を謙虚に検討してみる必要がある。(ノンフィクションライター 窪田順生)

【多摩川決壊の碑の写真はこちら】

● 多摩川水害は初めてではない 繰り返してきた「氾濫」

 「長く住んでいるが、こんなことは初めてだ」――。

 そのように嘆く人たちが多くいらっしゃる、東京・二子玉川の河川氾濫被害を受けた地域から、多摩川沿いに5キロ弱ほど上った河川敷にポツンと、ピラミッドのようなモニュメントがある。表面には時の流れを感じさせるパネルに「多摩川決壊の碑」とあり、裏面の碑文にはこんな言葉で締められている。

 「ここに、水害の恐ろしさを後世に伝えるとともに、治水の重要性を銘記するものです」

 今から45年前の1974年9月、台風16号によって生じた激流が堤防を260メートルに渡って崩壊させて、民家19棟が流された。首都圏の閑静な住宅地にやっとの思いで建てたマイホームが、濁流へ無残に飲み込まれていく光景は全国のお茶の間に届けられ、日本中に水害の恐ろしさを、まざまざと思い知らせた。

 それから2年、TBSがこの悲劇から着想を得たドラマ「岸辺のアルバム」を放映する。それまでの家族ドラマの概念を打ち砕くテーマ設定は大きな注目を集める一方で、現実に家を失った人たちは「人災だ」として国の河川管理に瑕疵があったと提訴した。

 そして、一審で住民側の勝訴判決が出た1979年、大田区に住む69歳の男性が、地域の学校に寄贈した写真が一部で注目を集めた。それは、当時から遡ること68年前の「関東大水害」の時に撮影されたという、完全に崩壊している多摩川の堤防である。

 「関東大水害」とは、1910年(明治43年)と1917年(大正6年)の2度にわたって関東を襲った水害。この時の被害も凄まじく、1910年の水害では関東地方全体では死者769人、行方不明者78人、そして家屋が全壊または流出した数は約5000戸を数える大惨事となり、東京だけでも150万人が被災したという。写真はこの時の被災地・東京を撮影したもので、男性が自宅にあるのを偶然見つけたという。

 ちなみに、多摩川の水害はこれ以前も頻繁に起きている。1896年には「多摩川が氾濫して架橋流出」(読売新聞1896年7月22日)しているし、1875年には「多摩川がはんらん、53軒が床上浸水 羽田では子供が行方不明」(読売新聞1875年8月17日)という痛ましい悲劇も起きているのだ。

 そのような歴史の教訓を忘れてしまったら、また同じような大水害が繰り返されてしまう。そこで、この恐ろしさを後世にちゃんと語り継いでいかなくては、というわけで、生々しい水害写真を寄贈したというわけだ。この「先人からの警告」を、時のマスコミも大きく取り上げた。

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最終更新:10/17(木) 10:10
ダイヤモンド・オンライン

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