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ヤクルト・高津臣吾監督就任は“野村野球復活”ののろしだ

10/19(土) 11:00配信

文春オンライン

「負けねーよ、野球好きさは」と高津は叫んだ

 2010(平成22)年12月、年の瀬も押し迫ったある日のこと。窓から差し込む柔らかな冬の日差し、暖房の利いた部屋。東京・新宿の古い小学校をリノベーションして作られた吉本興業の会議室の長机に座っていたのは、当時42歳を迎えていた高津臣吾だった。

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 つい数週間前に台湾・興農ブルズからの契約解除を告げられたばかりだった。翌11年の去就が定まらぬ中で行われたロングインタビュー。編集部からは、「高津の野球人生を振り返る」というざっくりとしたテーマを与えられていた。聞くべきことを整理した上で臨んだこの日のインタビューは、広島で過ごした幼少時代。当時カープのリリーフエースだった江夏豊に憧れ、初めて彼と対面したときの思い出話から始まり、2番手投手だった広島工業高校時代、小池秀郎という絶対的エースの陰に隠れた亜細亜大学時代について話を聞いた。

 そして、野村克也監督率いるヤクルト時代を経て、シカゴ・ホワイトソックス、ニューヨーク・メッツに在籍しメジャーリーガーとして過ごした日々。06年のヤクルト復帰、そして07年オフの突然の退団。その後の韓国、台湾時代について、駆け足に振り返ってもらった。高津はこの1カ月後に独立リーグの新潟アルビレックスBCに入団することになるのだが、取材時点ではまだ去就は決定していなかった。

 長きにわたったインタビューが終わって、雑談が始まる。編集者が持参していた見本誌を手に取る高津。すると彼はしばらくの間、それを熱心に読み耽っていた。そして、他球団の選手がどのように評価されているのか、ライバルチームの翌シーズンの展望について、編集者や僕に意見を求めたのだった。ふと、編集者がこんなひと言を口にした。

「ここまで熱心に読んでいただけたのは、阪神の藤川球児選手以来です」

 すると、高津はおどけた調子で叫んだ。

「負けねーよ、野球好きさは(笑)」

 以来、僕は「高津臣吾」という名前を見るたびに、聞くたびに、この日の彼の言葉を思い出し、「高津臣吾=野球好き」という等式が頭を駆け巡るようになった。そして、2020年シーズン、ついに「野球好き」を自任する男がヤクルトを率いることになった。二軍監督を経て、満を持しての一軍監督就任だった。

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最終更新:10/19(土) 11:00
文春オンライン

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