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小島健輔リポート 東コレへの提言 クリエイションは創る側と使う側が分かち合うもの

10/19(土) 8:00配信

WWD JAPAN.com

"「現代キモノ」が損なった使い手のクリエイション"

「コム デ ギャルソン(COMME DES GARCONS)」や「サカイ(SACAI)」のクリエイションは、創る側のリメークと着る側のリメークの境がなく、時に分割や合体など“洗い張り”感覚の着崩し着回しまで着る側に委ねられる。そこに通底するのは「現代キモノ」によって着こなしが規格化される以前の、おそらく明治・大正・戦前昭和期のキモノ文化ではなかろうか。

創り手のクリエイションがテキスタイルに終わるキモノの世界では「ウエアリング」のクリエイションは使い手に委ねられるから、江戸時代には歌舞伎役者や花魁、芸妓はもちろん、茶屋娘や町娘、大通や若旦那、遊び人や職人までさまざまに装いを工夫し、ストリートのウエアリング文化が花開いた。

キモノは基本的にジェンダーレスだから、花魁と遊客、彼氏と彼女がキモノを交換して着るなど日常的なことだったし、庶民のキモノはほとんど古着かリメークだったから、新品と中古の境のないサステイナブル市場だった。それは明治・大正・戦前昭和期でも同様で、洋服が権力機構によって規定される一方、花柳界からカフェの女給まで、高等遊民から車夫までキモノは創造性に満ちていた。

帯板や詰め物、何本もの紐で縛って無理やり整形する「現代キモノ」が着る側の創造余地を限定して、「ウエアリング」の楽しみどころか機能性も着こなしの幅も損なって、マーケットを7分の1に萎縮させた過ちを対岸の火事と見てはなるまい。洋服のクリエイションとて、創り手と使い手が分かち合ってこそ盛り上がるのではないか。

東コレの再興をファッションシステムや欧米コレクションビジネスの枠組みに求めるのは間違っている。それらはとっくに役割を終えた“遺構”であり、トーキョーのクリエイションはグレーターチャイナ圏ストリートの若者たちの熱気が生み出す「ウエアリング」をデジタルなIoTサプライで“旬”のままグローバルに問うのが正解だと思う。

小島健輔(こじま・けんすけ):慶應義塾大学卒。大手婦人服専門店チェーンに勤務した後、小島ファッションマーケティングを設立。マーケティング&マーチャンダイジングからサプライチェーン&ロジスティクスまで店舗とネットを一体にC&Cやウェブルーミングストアを提唱。近著は店舗販売とECの明日を検証した「店は生き残れるか」(商業界)

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最終更新:10/19(土) 8:00
WWD JAPAN.com

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