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アルトマン、ロペス、リー、レオン、ディアズ&フランコ「東京の下町から川崎、そして千葉は幕張へ。ロッテ強打の助っ人たち」/プロ野球20世紀の男たち

10/20(日) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。

人違いで入団したが大成功。陽気な“下町の太陽”アート・ロペス

“光の球場”で輝いた凸凹コンビ

 1992年に千葉へ移転し、すっかり根を下ろしたロッテ。愛称のマリーンズも完全に定着したが、その起源をさかのぼると、2リーグ分立の50年に行き着く。その50年にパ・リーグを制し、日本シリーズ初代王者になった毎日オリオンズが原点だ。

 58年には大映と合併して大毎オリオンズとなり、60年には2度目のリーグ制覇。そして62年、名物オーナーとしても知られる永田雅一の悲願だった新球場が完成する。場所は近未来的なイメージの強い現在の幕張とは対照的に、戦争の焼け跡どころか江戸の面影さえも残る東京の下町、南千住。ただ、球場は当時からすれば近未来的だった。ナイターが開催されれば下町を明るく照らし、“光の球場”と呼ばれた東京スタジアム。チーム名も64年から東京オリオンズとなり、3度目の歓喜への舞台は着実に整いつつあった。

 そんな68年、2人の助っ人がオリオンズに馳せ参じる。1人は197センチと長身のアルトマン、もう1人は176センチと助っ人としては小柄なロペス。ともに外野手で左打者、2人で“大政、小政”とも言われたが、とにかくマジメなアルトマンは見た目どおり“足長おじさん”、ムードメーカーのロペスは“下町の太陽”とファンに愛された。

 そして翌69年がロッテ元年だ。続く70年は2人して球団3度目、ロッテとしては初のリーグ優勝に貢献。だが、ロペスは71年オフにヤクルトへと去り、東京スタジアムも経営難から翌72年に閉鎖される。ロッテは県営宮城球場を中心に川崎、後楽園、神宮などを転々とする“流浪の球団”となった。

 それでも、そんなロッテに残っていたアルトマンは74年、就任2年目の金田正一監督とともに、ロッテを4度目の頂点へと引っ張っていく。8月7日までの85試合で打率.351、21本塁打、67打点と打ちまくり、三冠王も射程圏に入る勢いだったが、その翌朝、激しい腹痛と下痢、そして出血で緊急入院。大腸ガンと診断され、そのまま戦線を離脱する。

 だが、それでナインは一致団結。後期優勝、プレーオフ制覇、そしてロッテ初の日本一へと駆け上がっていった。ただ、そのオフ、健康不安と功労金に関する交渉がこじれてアルトマンは阪神へ。そして、これがオリオンズ最後の栄光となってしまう。

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最終更新:10/20(日) 11:10
週刊ベースボールONLINE

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