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ラグビー日本「半数が海外勢」になった深い経緯

10/20(日) 11:00配信

東洋経済オンライン

ワールドカップで快進撃を続けるラグビー日本代表。今大会、その成績もさることながら、注目されるのが「海外出身」選手の多さだ。メンバー31人中、実に15人が海外出身。なぜこんなにも多いのか。
ラグビーの代表資格が「国籍主義」ではなく「協会主義(地域主義)」、つまりどの国でプレーしているかによること、また、戦力補強の側面ももちろんある。しかし、本当に知るべきは、日本ラグビー界には古くから海外出身者を受け入れてきた歴史と土壌があったということだ。ノンフィクションライターの山川徹氏が歴代の海外出身の日本代表選手にインタビューを重ねた『国境を越えたスクラム』(中央公論新社)より、ハイライトを紹介する。

■知られざる、トンガ勢のルーツ

 海外出身選手の中で一大勢力となっているのがトンガ出身選手だ。今回のワールドカップメンバーにも、ヴァルアサエリ愛、中島イシレリ、ヘルウヴェ、アマナキ・レレイ・マフィ、アタアタ・モエアキオラらが名を連ねている。彼らは全員、高校や大学時代に留学生として日本にやってきたが、日本ラグビーにおけるトンガ人留学生の歴史はことのほか長い。

 始まりは “ソロバン留学”だった。同書によると、1975年に大東文化大学ラグビー部がニュージーランド遠征した際に、ラグビー部部長の中野敏雄氏がトンガに足を延ばしたことがきっかけとなり、トンガ王室との交流が生まれる。当時のトンガ国王は大の日本びいきで、宮廷でソロバンの大会などを開いていたという。

 やがてソロバン指導者育成のためにトンガ人青年を日本に留学させる計画が持ち上がった。その際に中野氏が、ソロバンと勉強漬けではストレスがたまるからと、彼らにラグビーをさせることも提案した。かくして、トンガ代表として活躍していたノフォムリ・タウモエフォラウと、1歳年下のホポイ・タイオネの2人に白羽の矢が立ち、大東文化大学に送り出されたのだった。

 彼らは日本ラグビー界が初めて迎え入れた海外からの留学選手であり、前者のノフォムリは後に日本代表にまで上り詰める。とはいえそこに至るまでの過程は順風満帆ではなく、来日直後は苦労も多かったという。1980年4月6日、成田空港に降り立ったときの日本の第一印象についてこう述懐している。

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最終更新:10/21(月) 12:05
東洋経済オンライン

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