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大船渡佐々木、ロッテ入りを決めた“過保護”ドラフト会見の一部始終【密着レポート】

10/21(月) 11:00配信

文春オンライン

 運命のドラフト会議の結果、 “令和の怪物”こと佐々木朗希投手(大船渡)の交渉権は、ロッテが獲得した。この春の岩手大会から佐々木投手に密着し、ドラフト会議当日も大船渡高校で取材を続けていた、『投げない怪物 佐々木朗希と高校野球の新時代』(小学館)の著者、ノンフィクションライターの柳川悠二氏の特別レポート。

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◆◆◆

 岩手県立大船渡高校の硬式野球部員や保護者も会場となった大船渡市三陸公民館に詰めかけ、いよいよドラフト中継の準備が整おうかとしていたその時、控え室からトイレに向かう佐々木朗希とすれ違った。

 190センチという長身の佐々木の学ラン(学生服)は明らかにサイズが小さく、なんとも窮屈そうにしていた。

 ふつう、学生服は成長を見越して、大きめのサイズをオーダーするはずだ。ところが、佐々木自身や家族が想定していた以上に身体が大きく成長し、身長も伸びたのだろう。学生服の丈と袖がその大きな背中には不釣り合いで(まるで短ランを着ているようだった)、細長い足がより際立って見えた。

 大船渡に入学して2年半、野球選手としての成長度も、あるいはマスコミの注目度も、本人にはとっては想定していた以上のスピードで進み、膨らんでいったのかもしれない。ベンチ入りした1年夏から球速は150キロに迫り、2年夏には大台を突破。そして、今年4月のU-18高校日本代表の第一次選考合宿の紅白戦で、中日のスカウトのスピードガンが「163キロ」を表示。時の人となった。

口数が少なくなっていった

 春夏の甲子園には一度もたどり着くことができなかったが、ダイナミックなフォームとあのスピード、そして多彩な変化球をひとたび目にすれば、末恐ろしいダイヤの原石であることは誰の目にも明らかだ。

 とりわけ163キロを記録した4月以降、佐々木は常に喧騒の中に身を置いた。練習試合、公式戦を問わず、プロのスカウトが大挙して訪れ、佐々木が降板すればぞろぞろと引き上げていく。夏の岩手大会では徹夜組が出るなど大混乱で、トラブルを避けるために佐々木が投球練習をするブルペンがブルーシートで周囲を覆われたこともあった。次第にマスコミの前に立つ佐々木の口数は少なくなり、真意と異なる報道を警戒してか、当たり障りのない発言に終始するようになった。

 日本中が注目する球界の宝も、佐々木を指導してきた中学、高校の指導者からすれば、手に余る才能だったのかもしれない。軟式野球部に所属した大船渡第一中学時代は、成長痛や腰の疲労骨折で苦しむ佐々木に対して、当時の指導者たちはリハビリの手助けをし、最後の夏も身体の負担を考慮し、投げさせない判断を下した。

 さらに大船渡入学後は、米国・独立リーグを経験した國保陽平監督が佐々木の入学から半年後に就任し、佐々木の肩やヒジへの負担を最優先に考え、球数や登板間隔に配慮しながら起用してきた。163キロを記録したあたりからは、「球速に耐えうる骨、筋肉、靱帯、関節ではない」という医師の診断を根拠に、より慎重な起用が続いた。

 そして、あの騒動が起きる。國保監督は岩手大会の決勝で、準決勝からの連投となる佐々木をマウンドには送らず、野手として起用することも、代打としてバッターボックスに立たせることもしなかった。直後から賛否両論が渦巻いた。

 佐々木にとって初めての大舞台となったU-18野球W杯でも、大学日本代表との壮行試合で右手中指にできた血マメを悪化させた佐々木に対し、永田裕治監督らは傷口が完全にふさがるまで辛抱強く待った。だが、満を持して登板した決勝進出の懸かる韓国戦で、再び血マメを悪化させてしまった佐々木はわずか1イニング、19球で降板せざるを得なくなり、期待を裏切る形で高校野球を終えた。

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最終更新:10/21(月) 13:24
文春オンライン

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