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【消えた逸材】リケルメ以上と評された「新しいマラドーナ」は、なぜ輝けなかったのか

10/21(月) 6:29配信

SOCCER DIGEST Web

「早すぎた移籍」がキャリアを左右する分岐点に

 アルゼンチンの強豪ボカ・ジュニオルスが、育成に定評のあったアルヘンティノス・ジュニオルスからユース世代の有望な若手をごっそりと買い取ったのが1997年。その中に、ファン・ロマン・リケルメがいたことは、今でもボケンセ(ボカのファン)たちの記憶に残っているはずだ。
 
 だがもうひとり、「新しいマラドーナ」と呼ばれ、将来を大いに期待された10番がいた事実を覚えている人は、はたしてどれくらいいるだろうか。
 
 男の名はカルロス・マリネッリ。確かな戦術眼と優れたテクニック、さらに得点力も兼ね備えていたエンガンチェ(トップ下)の逸材は当時、リケルメ以上に高い評価を受けるスター候補のひとりだった。
 
 アルヘンティノスの指導者たちからも太鼓判を押されていたマリネッリは、12万ドル(約1320万円)の「移籍金」でボカに渡ると、下部リーグでもその才能の片鱗を示しつづけ、99年、まだ17歳だったにもかかわらず、U-19チームのメンバーとして欧州遠征に参加した。
 
「新しいマラドーナ」の肩書きを持つ若者に、欧州のスカウトが着目しないわけがない。とりわけ強い興味を示したのがイングランドのミドルスブラで、ボカのトップチームではまだプレーした経験がなく、レセルバ(サテライトチーム)で1試合に出場しただけのヤングレタレントを400万ドル(約4億4000万円)で落札した。
 
 アルゼンチン出身のティーンエージャーにとって、イングランドでプロサッカー選手としてのキャリアをスタートするのは夢である。その夢を実現したのだ。しかし、この「早すぎた移籍」が、マリネッリのキャリアを大きく左右する分岐点だったと言っていい。

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行く先々でメディア関係者や対戦相手、時には監督と衝突

 フットボーラーとしての素質は確かだった。だが、若くして母国を離れたマリネッリは、感情をコントロールできない内面的な未熟さを抱えていた。それがプレー内容にも大きく影響。ミドルスブラでは結局、レギュラーの座を確保できないまま3年間で通算42試合に出場、得点はわずか2ゴールという凡庸な成績に終わる。そして03年1月、21歳になる直前にイタリアのトリノにレンタルで移籍するのだ。
 
 セリエAでの挑戦に希望を抱き、心機一転で臨んだものの、トリノでも出番に恵まれなかった。結局は7試合に出場しただけでミドルスブラに復帰。以降もチャンスは与えられず、04年に古巣ボカへの帰還が決定した。
 
 カルロス・ビアンチ監督に導かれ、コパ・リベルタドーレスとインターコンチネンタル・カップ(クラブ・ワールドカップの前身)を制覇したばかりだったボカで再出発を図る決断を下したマリネッリは、国内で小さくない注目を浴びていた。
 
 しかし、レセルバの試合で感情をコントロールできずに退場処分となった一件がきっかけで、ビアンチ監督の信用を失い、トップチームでは一度も出番を与えられなかった。
 
 その後、ラシンへのレンタルを経て再びトリノに戻ったものの、またしてもレギュラーには定着できず、以降はポルトガル、アメリカ、コロンビア、ハンガリー、ペルーのクラブを渡り歩く。しかし、行く先々でメディア関係者や対戦相手、時には監督と衝突するなどつねにトラブルを起こし、その特大のポテンシャルは完全開花を見ないまま、15年に32歳の若さで現役を引退した。
 
 アルゼンチン代表の中心選手にまで上り詰めたライバルのリケルメがスポットライトを浴びるその裏で、キャリアのハイライトすら作れずにスパイクを脱いだのだった。
 
 現在はペルーに居を構え、代理人として第2の人生を歩んでいる。ペルー代表の守護神ペドロ・ガレセなどが主な顧客だ。
 
文●チヅル・デ・ガルシア
 
※『ワールドサッカーダイジェスト』2019年9月19日号より転載

最終更新:10/21(月) 6:29
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