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田中史朗「僕は何も言う必要はない」ジョセフ体制が成熟した何よりの証。

10/21(月) 15:31配信

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 涙が止まらなかった。アジアラグビー史上初のW杯決勝トーナメント。10月20日の準々決勝で、南アフリカに3-26で完敗した。しかし悔し涙ではなかった。

【秘蔵写真】スーパーラグビーに挑戦した頃の田中史朗、まだ細かったリーチ、松島&福岡&姫野の凄い学生時代、4年前ちょっと笑いかけた稲垣、日本代表のジェイミーに平尾…名ラガーマンの若き日。

 万雷の拍手が降り注ぐ東京スタジアムで、スクラムハーフの田中史朗は夢にまで見た光景に囲まれていた。ラグビーを日本の文化にしたい――そんな大志を抱いて行動してきた34歳に、待望のフィナーレは待っていた。

 「日本にラグビー文化が根付く第一歩が、僕たちのベスト8です。若い選手がこれからの日本を引っ張っていってくれれば、もっともっと文化も根付いていきますし、もっと上を目指せると思います」

 これが最後かもしれない。そんな想いもよぎった。

 2008年に日本代表デビューし、W杯は2011年大会から3大会目。166cm72kgの「小さな巨人」は、本大会出場が決定した2023年のW杯フランス大会では38歳になっている。

 「長く代表やってきて、次があるかも分からないので、もしかしてこれが最後かもというのもありました」

ここからまた進化していける。

 万感の想いが込み上げた。しかし拍手を送る4万8831人の観客に、日本ラグビーの未来を見た気がした。

 「負けたのは悲しいけれど、日本ラグビーの幕開けじゃないけど、『ここからまた進化していける』とファンを見ていたら思ったので、涙が流れました」

 「ONE TEAM」の旅が終わった10月20日は、娘さんの誕生日。高校の先輩である「ミスターラグビー」平尾誠二さんの命日でもあった。

 「娘の誕生日で負けました。平尾さんの命日とも重なって。これから10月20日というのは、いろんな思いが重なった日になりそうです。でも人生としてはすごく良いことかなと思います」

先陣を切り、軋轢も恐れず。

 勇敢に先陣を切ってきたパイオニアだ。

 2012年に南半球最高峰のスーパーラグビーに挑戦し、日本代表のジェイミー・ジョセフHCが当時率いていたハイランダーズに所属。レベルズに参加した堀江翔太と共に日本代表初のスーパーラグビー選手となり、2015年にはリーグ優勝を経験した。

 必要とあれば軋轢も恐れずに発言する。同年行われたイングランド大会では、期間中のミーティングで田中らしい言動があった。

 2015年9月28日、イングランド中央部のウォリックに滞在していた前日本代表「エディー・ジャパン」は、1勝1敗で迎えるサモア戦へ向けたミーティングを行っていた

 現代表もスローガン「ONE TEAM」のもと、一体感を醸成する取り組みを行っているが、エディー・ジャパンにはジグゾーパズルを使った儀式があった。

 全員が一つずつ持っているピースを心構えができた選手から埋めていき、最後にリーチ主将がピースを埋めると、中央に当時のスローガン「JAPAN WAY」と書かれたパズルが完成する――。

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最終更新:10/21(月) 19:05
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