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夢まであと一歩に迫りながら再び巨人に日本一をさらわれた南海/ホークス対ジャイアンツ日本S激闘史【1955年】

10/22(火) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

10月19日から始まった日本シリーズに3年連続で出場したソフトバンク。南海、ダイエー時代を含めて頂上決戦に挑むのは19回目となるが、ここでは過去のホークス対ジャイアンツの日本シリーズでの激闘を振り返っていく。

「波長」が合う南海と巨人

 1950年に2リーグ制となり、パ・リーグの初代覇者は、プロ野球に加入したばかりの毎日オリオンズ。南海は2位に甘んじた。一方、セ・リーグも松竹ロビンスが優勝し、それまで球界を牽引してきた巨人は3位に沈んだ。しかし、翌年から南海と巨人はリーグ3連覇を果たし、日本シリーズで相まみえた。

 4連覇を目指した1954年、南海は開幕7連勝をするのだが、西鉄ライオンズがそれを上回る11連勝。その後、西鉄を追いかけ、8月下旬からの27試合で26勝1敗の猛追を見せ奪首を果たしたが、再び逆転された。西鉄を1勝上回る92勝を挙げたが、敗戦が2多かったために初優勝を献上した。一方、巨人も終盤まで中日との激しいデッドヒートを演じたが力尽き4連覇はならなかった。

 1955年、覇権奪回を目指す南海は西鉄と8月下旬まで勝率7割前後のハイレベルな戦いで優勝争いをし、9、10月に25勝9敗の快進撃を見せ、西鉄に9ゲーム差をつけ2年ぶりのリーグ優勝を果たした。巨人も5月に首位に立つと、2位の中日を突き放し一度も首位を譲らず15ゲーム差の圧勝で優勝を手にした。2リーグになって以降、この2チームはなぜか「波長」が合い、ここまで6年間は必ず同じ年に優勝していた。

 南海のこの年の戦力だが、投手では高卒で前年入団した宅和本司が24勝を挙げ、2年連続最多勝を獲得(前年は26勝)。チームの柱となっていた。高卒ルーキーで前回の日本シリーズに出場した中村大成。シリーズでは3連発を浴び悔しい思いをしたが、3年目のこの年、宅和に次ぐ23勝をマーク。その他2ケタ勝利を挙げたのは、4年目の小畑正治、2年目の戸川一郎、大卒ルーキー・円子宏の3人で2年前の投手陣の顔ぶれとはガラリと変わっていた。打撃陣はあまり変わらなかったが、円熟期を迎えた選手が多かった。また、この年に近鉄パールスから杉山光平を獲得。山本一人監督がどうしても欲しかった選手で、1959年には首位打者を獲得するほどの職人肌のバッティングセンスの持ち主だった。

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最終更新:10/23(水) 11:06
週刊ベースボールONLINE

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