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私の“奇跡の一枚” 連載38 行司人生50年 木村玉光感謝の『千秋楽』

10/22(火) 12:06配信

ベースボール・マガジン社WEB

 百人百様。人間に運、不運がつきものでも、それぞれに与えられた人生の尊さは変わらない。私はそここそ平凡な行司だったが、49年11カ月間なんとかそれを通したからこそ、通させてもらったからこそ、穏やかな今があると思っている。

 長い人生には、誰にもエポックメーキングな瞬間があり、それはたいてい鮮やかな一シーンとなって人々の脳裏に刻まれている。
 相撲ファンにも必ず、自分の人生に大きな感動と勇気を与えてくれた飛び切りの「一枚」というものがある――。
 本企画では、写真や絵、書に限らず雑誌の表紙、ポスターに至るまで、各界の幅広い層の方々に、自身の心の支え、転機となった相撲にまつわる奇跡的な「一枚」をご披露いただく。
※月刊『相撲』に連載中の「私の“奇跡の一枚”」を一部編集。平成24年3月号掲載の第2回から、毎週火曜日に公開します。

華やかな一門の行司として受けた僥倖

 子どものころから好きだった相撲の世界に飛び込んだところから、私は自分の力だけでは決して味わえぬ人生を体験できたのだ。行司部屋に入門したときから(昭和40<1965>年5月)、尊敬する兄弟子から言われ続けた「何があっても辞めるんじゃないぞ。辞めたら何にもなくなる」という言葉が改めて思い浮かぶ。そしていま、若手に同じ言葉を掛けている自分がいる。

 行司が相撲部屋から独立していた時代に入門した私は、若手の監督を務めていた先代玉光さんの縁で花籠部屋につながることになった。

 それまで部屋を置くのが常識だった両国から離れた元幕内大ノ海の花籠親方が、弟子である二子山親方(元横綱初代若乃花)ともに徐々に阿佐谷一門としての力を伸ばし始めた時代。貴ノ花さんとは、職種は違っても同期で、誕生月も同じ2月ということで仲良くしていただいた。

 その後の阿佐谷一門の華々しさは皆さまご存じのとおり。“土俵の鬼”の若乃花の弟にして悲壮な取り口で日本中の人々を惹き付けた大関貴ノ花をはじめ、横綱輪島、大関魁傑、個性派竜虎、大勢の関取衆……人気力士がズラリとそろっていた。

 いろいろなパーティーを新宿の京王プラザホテルで行っていたことから、昭和52年当時、まだ幕下だった私に同じ立派なホテルで結婚式をやれ、といってくださったのも、この師匠花籠親方だった。

 当日は私の母など、新郎新婦はそっちのけ、夢中になって一門の関取衆との写真を撮りまくり、私たちはほとんどそのカメラに写っていなかったことを輝かしく思い出す。

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最終更新:10/22(火) 12:06
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