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斜陽の「銭湯」で大胆に集客する44歳の経営手腕

10/22(火) 5:55配信

東洋経済オンライン

 岩手でもいっぱい仲間ができました。もちろん同い年のやつらもいたし、新しい文化を面白がってる大人もいたし、海外から来てる人もいました。すごい触発されました。東京では得られない刺激を受けましたね。1人で行ったのがよかったんだと思います」

 冬はスノーボードざんまいで過ごし、シーズンが終わったらひたすら働いてお金を貯めた。

 「冬以外は、トラックの運転手をしました。昔、シルベスター・スタローンの『オーバー・ザ・トップ』という腕相撲をテーマにした映画があったんですけど、主人公はトラック運転手で普段コンボイに乗ってるんですよ。それに憧れました。トラック運転手は、自由ではないけど、1人でなんでも決められてよかったですね。

 昔からAMラジオが好きだったんで、ずっとかけっぱなしで。昔から文字を読むのが苦手で、ラジオがいちばんの情報源でした」

 18歳からスノーボードを始め、24歳まで毎年滑りに行った。住み込みをしたのは最初の2年くらいで、それ以降はアパートを借りて生活をしつつスノーボードを滑った。

 スノーボードの人気はだんだん上がり、ウィンタースポーツ商品を扱う店はずいぶん儲かっていたという。

 「やっぱり今よりは景気よかったんでしょうね。みんな毎年のように板もウェアも買い替えてたし。ちょっと頑張って働いたら、当たり前に自動車買ってたし。贅沢してるって感覚はなかったですね」

 1998年からスノーボードは冬季オリンピック競技に選ばれた。ただし原さんはあまりうれしいとは思わなかった。

 「僕は、人気に陰りのあった冬季オリンピックが、はやっているスノーボードにすり寄ってきた、という印象を持ちました。それなのに、服装の着こなしがダメだ、態度が悪い、って選手をまるで犯罪者みたいに叩いたりするんですよね。そっちが寄ってきたくせに、って思いました。

 ただスノーボード側も人気が落ちてくると、だんだんオリンピックにもたれかかるようになっていきました。この業界もつまんなくなったな……と思いました。

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最終更新:10/22(火) 5:55
東洋経済オンライン

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