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『ウルトラマン』監督が語る、少年時代の戦争体験 「ある瞬間に突然ポーンと命を取られてしまう」

10/24(木) 14:35配信

リアルサウンド

 『ウルトラマン』や『ウルトラQ』、そして『怪奇大作戦』などで名作と評される回の監督をしていたことで有名な演出家・脚本家の飯島敏宏が、自身の戦争体験を元に小説を書いた。『ギブミー・チョコレート』とつけられたタイトルからわかるように、当時「少国民」と呼ばれていた少年時代の経験が元となっている。子供からみた戦争とは? 少国民教育とは? そして、どのように世の中が戦争に向かって行ったのか? そんな問いに応える、経験者にしか語ることのできない貴重なインタビューとなった。

[写真]熱く語る飯島敏宏氏

■焼夷弾を見たら覆いかぶさって消す

――初の自伝的小説『ギブミー・チョコレート』ですが、今回小説を執筆するにあたって、第二次世界大戦をテーマに選んだ理由を教えてください。

飯島:以前から当時のことを書きたいという気持ちは持っていました。何のために書きたいかは、その都度変わってはいましたが。では、なぜ今なのかということですが、この小説に出てくる連中とは今でも付き合いがあって、そこでふと、「なぜ過激派の少年少女は自爆テロができるのだろう」という話になりました。でも、その答えは自分たちがいちばんわかっているだろうという話になったわけです。

――当時戦時下におかれていた飯島さんや仲間たちが、その時の環境を振り返るとわかるだろうと。

飯島:僕たちは小国民教育が徹底していたから、昭和20年8月15日までは国のため、神である天皇様のために命を捧げるのは尊いことだったし、そういう風に教わっていました。「焼夷弾を見たら覆いかぶさって消す」「米兵を見たら突き殺す」そういう教育を受けて育ってきました。それ以外のことを教わってこなかった我々と、過激派の子供たちは、極端なことをいうと同じ教育を受けているんです。

――それぐらい当時の小国民教育というのは徹底していたんですね。

飯島:改めて思ったのは、この本でもいろんな先生やお祖母さん、職人の庄司さんとか、いろいろなことを教えてくれる大人が出てきますけど、教育というものが、特に幼い子供にとってどれだけ大事かということです。今は先生と子供の関係というのはそれほど濃くないと思うのですが、昔は生活と一体になっていて、先生の影響をすごく受けます。その先生が時代の流れとともに変わっていき、子供を画一的な答えしかできないように育ててしまう。その怖さを伝えたかったんです。

――物語のごく冒頭で九官鳥の話が出てきます。その対比は今回のテーマをまさに象徴している話だったんですね。

飯島:九官鳥は自分の声をもっているのに、仕込まれると自分の名前の「おタケさん」しか言わなくなってしまう。誰もいないところだと自分の綺麗な声で歌っていたのに、それもいつのまにか歌えなくなってしまう危険性がある。自分の声をもつ九官鳥でいることが、いかに大事かということを伝えていきたいですね。

■突然、命をポーンと取られる残酷さ

――それをノンフィクションではなくあえて小説という形で書いたことで、ひとつの物語としてすーっと読み進められた印象があります。特に冒頭の入りかたは秀逸で、短いエピソードで時代の変革をはっきりと印象付けたのは見事だなと思いました。あそこで一気に世界観に引き込まれていきました。

飯島:あれも実体験です。ある日本郷キリスト教中央教会幼稚園が、大日本基督教團本郷中央教会支部に変わっちゃって。実はあそこを書いているときはまだ随筆でした。そこでなかなかキャラが立たせられなくて、主人公である僕と対照的な、「見る前に飛べ」というのができてしまうチュウという存在ができました。そういうチュウを見ていて妬ましくもあり、忸怩たる思いを抱えている僕とのコントラストをうまく表現できるようになり、キャラが確立して、そこからこの作品は小説になりました。

――そういう経緯があったんですね。あと読んでいて感じたのは、もちろん私も戦争は経験していないのですが、読んでいて登場人物の喜怒哀楽の表情、街並み、情景がすごく映像として脳内に浮かんできました。

飯島:僕は基本的に脚本を書いていたから、書きながら映像として見ていた部分はあったと思います。追い込みのところにむけてどう盛り上げていくかとか、ここはこういうテンポを作らなきゃいけないとか、ここは時間で押してサスペンスみたいにとか、そこには脚本の経験が生きているかもしれませんね。

――飯島さんの過去の実績をふまえると、どうしても映像で見たいなと思ってしまいました。特撮を駆使していただいて(笑)。

飯島:まあ、実写は予算的にムリだろうけど(笑)、アニメとか漫画にしてもらえたらありがたいかなとは思います。やっぱり戦争ものって、いろんな方が映像にしているけど、重いんですよ。見る前に「うわぁ……」って構えちゃうものが多いと思いませんか? だから今回の作品はああいう入り方にしました。実際に特殊な状況下で生活はしていましたけど、楽しいこともあったし、子供らしい生活もしていたし。

――確かに、もちろん戦時中なので理不尽なこと、悲惨なこともあったのは事実だと思いますが、主人公の僕やチュウをはじめとして、出てくる子供たちはみんな生き生きとしています。いい意味でちゃんと子供だし、小学生なんですよね。

飯島:運動会の障害物競走のところもそうだけど、やっぱり下町の子供は女の子の前でいいカッコしたいとかはあるんですよ、そんなご時世なのに(笑)。

――私も下町育ちなのでわかります(笑)。

飯島:あそこの件もほぼ事実ですから。女組の前ですごく速い子が転んで、ハラハラさせてから追い抜こうとか、当時は真剣に考えていましたね。そういう子供たちが上から無差別にガン! と教え込まれて変わっていく。明るいこととか楽しいこともたくさんあったのに、それがある瞬間に突然ポーンと命を取られてしまう。だから残酷なんです、戦争というのは。

■東京大空襲は北風じゃなかった

――当時に体験して、感じた生の感情、喜怒哀楽が至るところに散りばめられているから、戦争の悲惨さ、残酷さ、不条理さというのはもちろん伝わるのですが、それ以上にある種心のこもった暖かさみたいなものが作品全体の空気感として伝わってくるのだなと、お話を伺っていて思いました。

飯島:今回の作品は、”記録”ではなく”記憶”で書いたものだからだと思います。書いているうちに幼い頃の記憶が新鮮に蘇ってきましたよね。昨日食べたものはすぐ忘れるのに(笑)。線路に釘を並べて電車に轢かせて刀を作って遊ぶとか、そんなの記録には残らないし、いま考えても思いつかないと思いますよ。あとは東京大空襲のときの話ね。どんな本をみてもあの日は北風が凄かったと書いてあると思いますが、僕の記憶では違います。

 僕の家の周辺は北風じゃなかった。空襲であちこち燃えていたので上空で空気が旋回していて、場所によって風の吹く方向は違っていました。記録で書くと北風ひとつで終わってしまうけど、だとしたらあの日江東区から焼けた火が本郷まで燃え上がってくるわけがないんですよ。

――確かに、それは経験していないとわかり得ない情報です。

飯島:またそのときに役立ったのが、チャンバラごっこをしていたときに忍者がやる、指を唾で濡らして立てて、冷たい方から風が来ているってやつ。それで風下に逃げたらダメだということで、後楽園の方に逃げたんです。そこで逆側に逃げた街の人たちはみんな焼かれて……。だから、本当に紙一重でしたよね。あとは“人差し指を飛行機に向けてそこから機体が出たら、自分を狙っていない“というやつ、あれは本当に役立った。あれは今でも通用する。こういうのは経験だから、記録だけだと絶対に書けないことですね。

――そんな状況下であるときは疎開先で文字通り寝食をともにし、あるときは離れ離れになり、幼少期の数年間、共通の特殊な経験、人生をともに過ごしてきた友人たちとの絆というのは、我々が想像する以上に深く強固なものなのでしょうね。

飯島:明け暮れも一緒、それでひもじさも一緒。その中で必死に生き延びる術を考えて、アバンチポポロ(イタリアの革命歌)歌って……。そういう当時のことは本当にすごく鮮明に覚えているものです。でも特に新鮮なのは大空襲でみんな散り散りになったそのあと自分たちが高校生になる頃にみんな戻ってきたんですよ。そこで昭和24年に疎開した連中と東京に残った連中で同窓会をやるのですが、なぜか男女が分かれていたのは排除したまま集まって。そうするとこの間までガキだったのに、女の子は光り輝いているし。だからみんな「あいつあんな美人になっちゃった!」と言って、終わってからその子を追跡したりしてね(笑)。

――同窓会あるあるですね(笑)。

飯島:そこからまたリスタートしているんです、僕たちは。だから本当に特殊な世代だと思います。その集まりは今でも毎年続いています。11月1日に上野広小路のお店で集まるのですが、最近は10何人まで減ってきて。いつまで続けられるのかというのはありますけど、でも今でもみんなで集まるとあの時代に飛びますよね。

■戦争が起きる前兆とは

――昭和から平成を経て、令和の時代まで70年以上同窓会が続いているということですね。しかし、年配の方からこうして戦争の体験を聞ける機会も少なくなってきました。ましてや次の世代は余計にそうです。最近実体験したのですが、現小学生が読書感想文でいまだに『はだしのゲン』を書いているということに驚きと不安を覚えまして。また違う表現、別の形で子供たちに戦争というものを伝える何かが必要だと思い、この本がそんな作品になってくれたらいいなと思っているのですが、先生はこの作品をどの世代に読んでほしいと思っていますか?

飯島:今まさしく親である人たち、戦争を知らない人たちに戦争というものがいかに悲惨なものか、いかに突然やってくるのかというのを理解してほしいし、それを今の子供たちに伝えていってほしいなと思います。僕たちもそうでしたが、みんな戦争に向かっているということがわかっていなかったのです。そして気がついたらもうその道しかなくなっていて、それは非常に怖いことです。

――確かにそうですね。気づかないうちに、ある日突然社会が変わって、今までの常識や価値観が通用しなくなるというのは非常に恐ろしいことです。

飯島:ただ、実は戦争に至る前兆というのはよく社会を見ていたらわかります。今は昔と違って情報がたくさんありますし、微妙な変化というのは社会に反映されるものなので。だからよく勉強して、いろんな人の言葉を聞いて、ひとつの考えに囚われて、ひとつの方向に向かないようにしてほしいなと思います。九官鳥には自分の美しい声があるということを絶対に忘れちゃいけないし、自分の言葉を探す努力をしてほしいということをこの作品を通して伝えられたら嬉しいですね。

■飯島敏宏(いいじまとしひろ)
1932年東京都生まれ。慶應義塾大学卒業後、KRT(現在のTBS)に入社、演出部そして映画部に所属し、『泣いてたまるか』を監督する。66年、円谷英二率いる円谷特技プロダクションに、映画部所属の監督として携わる。『ウルトラQ』『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』などのウルトラシリーズ、『怪奇大作戦』など70年、木下恵介プロダクションに出向し、『金曜日の妻たちへ』などを演出。著作に『バルタン星人を知っていますか?』がある。

関口裕一

最終更新:10/24(木) 14:35
リアルサウンド

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