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『イエスタデイ』――桜庭一樹のシネマ桜吹雪

11/3(日) 11:00配信

文春オンライン

 この世界には、神話だったり民話だったりと、様々な物語が存在する。どこかに“物語の源泉”があり、映画製作者、小説家、吟遊詩人は、憑代(よりしろ)となって源泉から物語をおろすという職業である。時に、異なる時代の異なる国にそっくりなお話が残っていたりするのは、そのせいなのだ。

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 と、昔からそんなふうに考えていたので、ある日、自分が小説の大きな賞をもらい、人を殺した犯人ぐらいの勢いでわーっとテレビカメラに囲まれた時、「大変なことになった……」と恐怖を感じた。あれは誰のものでもない源泉から持ちだした物語で、わたし一人の物じゃないのに、と。

 この映画を観て、あのときの自分の気持ち、極めて特殊な事態で感じた混乱を、久々に思いだしました。

 舞台はイギリスのとある田舎町。売れないシンガーソングライターのジャックは、ある日とんでもないことに気づく。世界から突然ビートルズが消えてしまったのだ。「イエスタデイ」も「レット・イット・ビー」も、誰も知らない。聴いたことない。ジャックはあわてて、記憶を元に名曲の数々を蘇らせ、ギターを抱え、歌い始める。するとたちまち新世代のスターとして注目され、デビューイベントには大勢の観客が押し寄せた。ジャックはたまらず、歌いながら悲鳴を上げる。

「助けてー(HELP)! 助けてー(HELP)!」

 このシーン辺りでわたしは「あの頃のわたしの数百万倍怖いだろうな! だって、ビ、ビートルズだぜ……?」と蒼白になりました。

 ジャックは成功の毒杯を一度は飲むものの、自分かわいさよりも別の気持ちが勝っていく。それは「素晴らしい作品を消滅させたくない。なんとか世界に残したい」という、音楽への純粋な愛と信仰心だった。それこそが、憑代役が恐怖から救われるたった一つの道だから……。

 荒唐無稽なのに不思議と地に足のついた、愛しすぎる音楽映画でした。

INFORMATION

『イエスタデイ』
TOHOシネマズ日比谷ほか上映中
https://yesterdaymovie.jp/

桜庭 一樹/週刊文春 2019年11月7日号

最終更新:11/3(日) 11:00
文春オンライン

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