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小田急線の起源は「まぼろしの丸ノ内線」だった

11/6(水) 5:50配信

東洋経済オンライン

 池袋―荻窪間の「本線」と中野坂上―方南町間の「支線」で構成される、東京メトロ丸ノ内線。今年2月に新型電車の2000系がデビューし、7月には方南町駅が改良されて長い編成の列車が発着可能になるなど、転機を迎えている。

【地図】新宿大塚間の線路実測平面図

 東京の地下鉄としては2番目に古く、戦時中の1942年に着工。戦後の1954年から1962年にかけて開業した。計画自体は戦前からあり、大正期の1925年に内務省が告示した高速鉄道計画が直接の起源といえるが、それより前から丸ノ内線に相当する路線を建設する計画はあった。

 このとき、建設を計画したのは東京市(現在の東京都)でも、東京メトロの前身である帝都高速度交通営団(営団地下鉄)でもない。いまの小田急電鉄だ。

■電力会社が地下鉄事業に参入

 明治末期の1910年、実業家の利光鶴松が電力会社の鬼怒川水力電気を設立。現在の栃木県日光市内にダムと水力発電所を建設し、大正期の1913年から東京市への電力供給を始めた。

 そして1919年1月、利光は鉄道事業への参入を目指し、鬼怒川水力電気傘下の事業として「東京高速鉄道」の建設を申請する。なお、現在の東京メトロ銀座線・渋谷―新橋間を建設した、1934年設立の東京高速鉄道とは関係ない。

 これが新宿と小田原を結んでいる現在の小田急の起源といえる計画だが、このとき東京高速鉄道の路線として申請されたのは、次の通りだった。

(1)日比谷公園東―霞が関―虎ノ門―六本木―山手線渋谷駅
(2)霞が関―平河町―四谷見附―新宿3丁目駅
(3)日比谷公園東―神田橋―神保町―音羽町―池袋駅
(4)数寄屋橋―有楽町―本石町―浅草橋―上野駅
(5)支線:神田橋―本石町駅

 経由地や起終点の地名から見てもわかるように、東京都心の各エリアを結ぶ路線が中心。「小田原」の字はいっさい出てこない。線路の構造も地下式と高架式の併用としていた。

 この頃、東京市内は市営の路面電車網が発達していた。しかし、車体が小さく速度も遅い路面電車は、利用者の増加で輸送力が不足し、慢性的な遅延を引き起こしていた。その一方、欧州の各都市では地下鉄の整備が進み、これを知った日本の起業家らは、路面電車に代わる「高速鉄道」として地下鉄を建設しようと考えた。

 こうして1917年、東京軽便地下鉄道(東京メトロ銀座線の浅草―新橋間を建設した、のちの東京地下鉄道)の起業家グループが地下鉄の建設を国に申請。ほかの起業家グループも、これに刺激される格好で続々と地下鉄建設を申請した。利光の東京高速鉄道も、そうした申請路線の1つだった。

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最終更新:11/6(水) 7:45
東洋経済オンライン

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