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広島復帰時の“覚醒”につながった手塚一志さんとの出会い/新井貴浩コラム

11/7(木) 11:00配信

週刊ベースボールONLINE

バッティングの方向性が見えた

 バッティングは奥深いものです。若手時代の私は動体視力や感覚で、ある程度“打てていた”ため、あまり突き詰めて考えることがありませんでしたが、2003、04年とドン底の時期を経験し、そこからあらためて、自分のバッティングについて見つめ直し、多くの人たちの助けをいだたき、何とか抜け出しました。

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 ただ、それは単に1つの壁を越えただけで、課題は次から次へと生まれます。私は凝り性というわけではないのですが、悩みに悩み、比較的構えやタイミングの取り方を変えてきたほうかもしれません。

 結果が出ないときはもちろんですが、出ているときも「もっといいやり方があるんじゃないか」といつも思っていました。そもそも選手は常に「もっと打ちたい」「もっとうまくなりたい」という思いがあります。逆に「自分はここまで」と思った時点で終わってしまいます。

 いろいろな試行錯誤を続けながらも、正解ではありませんが、何となく「ああ、この方向でやっていけばいいのかな」と思えるようになった時期があります。

 15年に広島復帰後、打撃の数字がよくなっていますので、そこからでは、と思われるかもしれませんが、実はその前、阪神の最終年の話です。ただ、それまで私の故障が多かったこともあって、14年は球団が同じ一塁に新外国人のゴメスを獲得し、そちらを優先的に使っていました。言い訳はしません。代打でも結果を出せば使ってもらえたと思いますが、なかなかうまくいかなかった。結果的には、せっかくつかんだものを実際に発揮することができなかったのは残念です。

 あのときの“覚醒”で大きかったのは、パフォーマンス・コーディネーター、手塚一志さんとの出会いです。現在はスポーツ技能上達工房「上達屋」を主宰されていますが、ダイエー(現ソフトバンク)をはじめ、プロ野球のたくさんの球団でコンディションニング・コーチをされ、現在も、たくさんのトップ選手に指導されている方です。

 私は手塚さんからバッティングのテクニカルなこと、体の使い方、扱い方などの理論を学び、独特なトレーニングメソッドで肩甲骨周りや股関節などを鍛えました。

 大きかったのは、今まで感覚的にやってきたことの理論的な裏付けができたことです。それにより、もっといいパフォーマンスをするには何が必要か、また、調子が落ちたときに何をすればいいのかも分かるようになってきました。

 私と手塚さんの出会いは、カープの先輩・黒田博樹さんを通してです。メジャー挑戦前の話ですが、黒田さんが手塚さんに教えてもらっていて、カープのキャンプへ黒田さんに会いに来られたとき、誘われて一緒に食事をしたのが初めてです。

 いろいろ話を聞き、目からウロコではありませんが、ずっと「へえ」「なるほど」とうなずいていました。ただ、すぐお願いしたわけではありません。当時は、それなりに結果が出ていたので、何となく「今のままで鍛えていけばいいだろう」という漠然とした思いがありました。

 ただ、タイガース移籍後、4年目が終わったころだと思います。故障も多くなり、思うような結果も出ない。このままではいけない、何とかしなきゃという危機感の中で、自分に何が必要かを考え、手塚さんに「一緒にやってもらえませんか」とお願いしました。

 オフもそうですが、当時は大阪にも手塚さんのラボ(工房)があったので、シーズン中も午前中、手塚さんのラボに行って練習してから球場に向かったりしていました。すぐにはっきりした結果につながったわけではありません。徐々に徐々に、でした。私は器用な人間ではありません。手塚さんのメソッドを信じ、じっくり取り組み、自分の中で消化するのに、年月が必要だったのかもしれないですね。

 コツコツと積み重ねているうちに体と頭で理解し、一致していったように思います。阪神の最終年では、今までとは違う感覚が自分の中に出てきて、「よし、これでいけるぞ!」になりました。

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最終更新:11/7(木) 11:34
週刊ベースボールONLINE

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